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あれこれ・あるがままに(第80回)    平成26年12月13日

  
「もう12月かー」
 あでやかな装いを競った街路樹の紅葉は、既にそのあでやかな装いを風に舞い散らせるままにし、暦は早12月、この時期「もう12月かー、言うてる間に正月やなー、最近1年の経つのが本当に早い。」というセリフを耳にすることが多い。事実、どなたも歳を重ねるにつれ、時が経つのを早く感じることを実感するものである。
 人は、「もういくつねるとお正月 はやくこいこいお正月 お正月には・・」というような、待ち遠しいほどの時の流れを経験し、やがて誰しも(かどうかは分からないが)「もう正月か!」そして「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」(まま第9回「正月雑感」)というような、はかなさと刹那の感慨を覚える時間の流れに身を置くことになる。

 それはさておき、子供の頃も年を重ねてからも1日の時間は同じであるのに、年を重ねるとどうして「人が感じる月日の流れ」や「過去を振り返った際の時の流れ」が早く感じるのだろうか?
 このような心理現象のことをネット検索してみると、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネーが発案した「ジャネーの法則」がよく引用されている。
 ジャネーの法則とは、簡単に言えば、「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」という心理上の分析である。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。」というのである。
 (ジジ注。5歳の人は1825日の人生であり、50歳の人は18250日の人生である。だから、過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象は、同じ時間の経過であっても、5歳の人の1日は1825日のうちの1日であり、50歳の人はその10倍の18250日の人生であるから10日が5歳の人の1日に当たる。)

 分かったようで分からないところがあるが、心理現象の相対評価であるから算数の頭では割り切れないと理解した。要するに、この法則は「今現在進行している時間の体感速度」ではなく、「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」を相対的に捉え、生きてきた年数により1年の相対的な長さがどんどん小さくなることによって、時間が早く感じるということのようだ。

 これまでは、「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」であったが、今度は将来に向かっての時間を考えてみよう。これは人生観そのものであり考えよう如何であると思う。「あと元気で満開の桜を何回見られるだろうか?」と考えると、侘びしくさびしい気持ちになる。
 ジジの価値観は古希を過ぎた今も30数年前の作である次の詩のままであり(まま44回「洒落のまた洒落」)、進歩も退歩もない。

 高野山墓碑の碑文
  万億光年の宇宙に在り
  花鳥風月を友 酒を友
  人生 愛と出合を大切にし
  生かされるままに 生く
  色即是空 昭彦 
  合掌 紀代子

 辞世の句
  露と落ち 花鳥風月 酒を友 出合重ねて 同行二人
 ( 豊臣秀吉辞世の句)
  露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢)

 辞世の句偈文         
  五十路の父や 感涙の 露に包まれ 生まれ落ち
  花鳥風月 酒を友 出合重ねて 桜かな
  色即是空 露の生 南無大師遍照金剛
  出合冥利の 同行二人 浮き世巡りの 同行人
  この世あの世も お大師さま 行くはとこしえ 高野墓碑
  合掌

 戒名  
  ジジ    正観院唱義昭道居士
  たら夫人  正受院慈香貞順大姉
         戒名改名 正受院慈香倫紀大姉 (第102回 めったにない出来事)