時事折々トップへ あれこれ・あるがままに(第56回) 平成25年1月10日 |
年 始 雑 記 帳 |
平成25年の年始雑記帳 <年始の出来事> 1月1日(火) 元旦の朝7時、育った生家の習俗に習い男のジジが雑煮を炊く。雑煮は、丸餅、コイモ、ダイコン、ニンジンの田舎味噌仕立て。 炊きあがった頃、たら婦人を従えて自宅の部屋一室に設(しつら)えた神棚に参拝する。ジジが雑煮を供え、灯明を上げ、二礼二拍手一礼.。おもむろに声高く恐(かしこ)みも新年の祝詞を上奏、「新年あけましておめでとうございます。おかげ様で昨年は一族平穏に過ごすことができました。この新年も天下泰平、よきこと多い年でありますように、また、一族の健康、孫らの学業成就も、謹んでご祈願申し上げます。」、二礼二拍手一礼。 次いで、仏壇に雑煮を供え、お茶を接待し、灯明を上げ、香を焚く。鐘を叩き、手を合わせ、一族平穏のお礼と新年のご加護をお願いする。 さらに、お鏡さんに雑煮を供え、灯明を上げる。 その後、たら婦人と二人で雑煮と節を祝う。ジジは普段ビール・焼酎であるが、この朝は神棚から「吟醸しぼりたて」をお下がりで拝受し、御神酒を頂いた。 夕方、明るい子供の声で「あっけましておめでとうございまーす」と、次女家族(夫婦と小1男子、年少女子1)が、まず第1陣として到着。 (たら婦人はこの日夕食から夫婦分と来客家族の接待食開始。この晩食事をした口の数計6) 1月2日(水) 昼前、第2陣の長女一家(夫婦と中1男子、小1女子)が到着。 総勢老壮幼合わせて10人が揃い昼餉のお祝い。そのあと全員で和歌浦天満宮に初詣。 夜、次女の夫が勤務の都合で福井市永平寺町に戻る。 (この日朝昼晩で口の数延べ30) 1月3日(木) 朝食前、総勢10人が神棚の前にうち揃い、元旦朝のセレモニーを再度行う。 昼前は孫らと一緒にユリカモメに食餌の施しをして遊ぶ。 夕食後、長女の夫と中2が大阪市天王寺区の自宅に戻る。 (この日朝昼晩で口の数延べ27) 1月4日(金) 早朝 次女が豊中市の勤務先へ出勤し、夕方に戻る。 夜、次女の夫が福井市から戻る。 (この日朝昼晩で口の数延べ21) 1月5日(土) 夕食後、長女と小1が大阪市天王寺区の自宅に戻る。 (この日朝昼晩で口の数延べ24) 1月6日(日) 朝は一日早めた「七草がゆ」のお祝い膳。ジジの生家では七草がゆの中に「うる餅」が入る(餅米に少量のうるち米を混ぜてついた餅、うるち餅)。この朝の七草がゆもその生家風。 夕食はたら婦人の慰労会でレストラン・レスポワールに行き、炭火焼きステーキの夕食会。 (この日朝昼で口の数延べ16) 1月7日(月) 午前、次女家族4人大阪の自宅へ戻る。元旦から続いた来客の撤退完了。 (この朝食事をした口の数6。接待食終了延べ116食) <古稀の思い> ジジは今数え年70歳であり、今年4月で満70歳となる。数えと満の何れを基準にしても「古稀の年」である。 「古稀」とは、唐の詩人杜甫が詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り、人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所にはどこにでもある。しかし、七十年生きる人は古くから稀である。)に由来する。 さて、ジジの近況からすると、「酒代のつけは十年前に比べほんの僅かとなったが、周りには七十を超えた人をたくさん見る」ということになった。与えられた人生、あるがままに、生かされるままに(第44回洒落のまた洒落)ということにしよう。 |