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あれこれ・あるがままに(第41回)    平成23年10月20日

  
色 即 是 空
 

 本コラムの表題は「あれこれ・あるがままに」とした(第1回)。これは日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)が朝日新聞の土曜版に毎週連載中の「○歳・私の証 あるがまゝ行く」というコラムのワンフレーズをいただいたものであるが、同コラムの10月8日(土)のお題は「100歳のバーを越えて」であった。同欄の終章は次のようにまとめられている。
 『プラトンは人間の持つべき大切なもの、元徳を次のようにあげています。第1は知恵、第2は勇気、第3は節制、そして第4は正義。このうち第2の勇気を持った行動こそ、これからの私の人生を強く導くものだと思います。青年が持つような熱い情熱のこもった行動力を持ち続けること、それが私の最大の願いです。この決意を続者のみなさんにも伝えたいと思います。「私の証 あるがまゝ行く」と題したこの欄を始めて10年目に入りました。続者の皆さんと共にこれからも「あるがまゝ」の人生を歩み続けていきたいと思います。』


 毎回楽しみに拝続させていただいているが、先生の知力・体力・持続力は驚異的と言っても言い足りないくらいである。振り返れば、ジジなどは先生が引用された「元徳」について四徳いずれにも力及ばず忸怩たる思いであるが、「あるがまゝの人生」という生き方はジジもそのような考えで時を過ごしてきた。

 ジジの生き方については、昭和61年3月発行の和歌山弁護士会小史に次の雑文を寄稿した。ジジ40歳を過ぎた不惑の頃。
     万億光年の宇宙に在り 
     花鳥風月を友 酒を友 
     人生 愛と出合を大切にし 
     生かされるままに 生く 
     色即是空  昭 彦

   
 ジジは思うところがあり、数年前、高野山は御大師様のおひざもと近く、悠久の高野の聖地に夫婦の墓碑建立を思い立った。仏縁をいただき、奥の院参道・中の橋から覚ばん坂を過ぎたあたりに位置する聖地に墓碑を建立することができた。恐れ多くも、お隣は備後福山水野家墓所、千姫・江の方の墓所は参道を挟んだ向かい側である。この機会にジジとたら婦人は共に生前受戒の戒名を授かり、平成20年5月、墓碑の開眼法要を執り行った次第であるが、墓碑には夫婦の名前と戒名のほか上記雑文を刻み、末尾に「合掌 紀代子」という一文を加えた(顛末は第7回)。
 さて、この墓碑の「朱」が消えるのは二人とも瞬きほどの時間であるが、「万億光年」で始まる碑文が消えるのは「やがて無縁仏になりぬれぬ」のその果て、願わくば「悠久の高野」とともに!あらまほしきかな!


 この11月前後の行事予定。
 10/10・11 三重県紀宝町出張
 10/31〜11/02 山形市出張
 11/03  紀の川市→3回忌法事出席
 11/06  和歌山市→13回忌法事出席
 11/09  田辺市出張
 11/19  広島市→結婚式披露宴出席
 11/23  京都市→孫の七五三お祝い会
 12/03  神戸市→結婚式披露宴出席
 ジジ68歳。「色即是空 空即是色」の一コマ。合掌。