時事折々トップへ あれこれ・あるがままに (第7回) 平成20年7月5日 |
高野山(祈念碑開眼法要) |
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この5月、子供や近い身内に次のような案内状を出しました 開眼法要のご連絡 謹 啓 桜花爛漫の時期は瞬時にして、次いで万物が芽吹く美しくもさわやか季節が到来しますが、皆様益々ご清祥のことと存じます。 さて、私ども夫婦は、この度縁あって悠久の聖地である高野山の表参道沿いの、中の橋から奥の院へ向かう途中の場所に墓碑を建立し、別紙要領にて開眼法要を営む運びとなりました。 ご承知のとおり私ども夫婦の長女順子は山田氏と次女裕子は糟野氏と結婚し、それぞれ夫の氏を称して家庭を築いています。ついては、私どもは、かねてから死後の祭祀については、子供らに出来るだけ負担がかからないような形を希望していました。そこで、数年前から高野山で「田中家之墓」ではなく、「夫婦の祈念碑的墓碑」を持ちたいと希望するようになりました。それも新しく墓地として開発された多額の料金が必要な場所ではなく、一の橋から御廟にかけた御大師様のお膝元片隅で、「やがて無縁仏になりぬれる、色即是空、空即是色」のモチベーションです。 しかし、なにせ「高野の聖地」のことですから、果たして可能なことか、また可能としても多額の寄進があってのことではないのか、皆様もそのようにお考えにるのではないでしょうか? ところが、ご縁があったのです。ご縁を運んでくれたのは、高野山本山・各寺院で信頼の厚い御用達杣人でした。(そまびと。木材をり出すことを職業とする人。きこり。彼は、クレーン車が入らない墓地等の大木を墓碑を損傷させずに、そして、切り出した後の木材を柱として使えるように伐採するという技術を持っているのです。) 実は、この杣人とは昭和56年頃に出合いがあり、以来、私ども夫婦と互いに波長が合う親しい間柄なのですが、数年前から、彼に「参道沿いで無縁さんのようなところの無償で墓碑を置けるような場所はないか?何とかならないか?」と持ちけていました。そうしたところ、昨年、「龍泉院」さんに引き合わせてくれ、副住職さんに同院が管理する聖地を案内していただきました。夫婦はその場所に立ち、予期していたのとあまりにもかけ離れた分不相応とも言うべき絶好の立地であったので、たいへん感激しました。同時に、未だ俗人の身には料金の方が心配でしたが、龍泉院さんは「お出合いですので、お気持ちで結構です。」と言って下さいました。龍泉院さんにどのように計らってくれたのか分かりませんが、龍泉院さんから私ども夫婦のことを「お出合い」と認めていただけたのです。このようにしてこの度開眼法要が実現することになった次第です。 墓碑建立工事は、龍泉院さんご指定の石材店に依頼していましたところ、今年早々文化庁の許可があり(世界遺産登録の関係で許可が必要とのこと)、間もなく工事が着工される予定になっています。墓碑は、正面に「田中昭彦・田中紀代子之碑」、横面には二人の戒名、裏面には次のとおり刻む予定です。 万億光年の宇宙に在り 花鳥風月を友 酒を友 人生 愛と出合いを大切にし 生かされるままに 生く 色即是空 昭彦 合掌 紀代子 連休中のこととて何かとご予定があるかと存じますが、新緑薫る高野山の風情をお楽しみかたがたご出席をいただければ幸いです。なお、開眼法要は、仏事の行事では慶事とされているとのことですので、服装は平服とし、お供えは無用にしていただきたく、また、本人らの墓碑につきお祝いをされるのも何か忙しい気がします。ついては、あらかじめ辞退を申し上げますので、よろしくご理解をお願いします。 平成20年4月7日 各 位 田 中 昭 彦 田 中 紀 代子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (別紙) 開眼法要の要領 日 時 平成20年5月3日(土) 次 第 奥の院参拝 午前10時30分頃 開眼法要 午前11時〜 別紙イラストマップ「田中・墓碑」前 精進料理 正午過ぎ 龍泉院において 予 定 高野山駅(10時)・・・・奥の院バス停(中の橋駐車場 :10時25分)・・ ・・奥の院参拝・・・・ 田中・墓碑:開眼法要 (11時〜)・・・龍泉院(精進料理)12時過ぎ〜・・ ・・・・・・・・・高野山駅 → 南海高野線 交 通 ☆ 電車発車時間表を参考にして下さい ☆ 橋本駅まで自動車をご利用の場合は、駅前の駐車場を予約をして おきますので事前にご連絡を下さい _________________________________ 祈念碑開眼法要の実況 (写真貼付)
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