時事折々トップへ

      
 あれこれ・あるがままに(第32回)  平成23年2月6日

  
子供の頃のとんど焼き(備忘録)
 

 この2月3日は旧暦の1月1日、世の中が現行太陽暦で回るようになったのは明治5年のことであるが、ジジ(1943年=昭和18年生まれ)が子供の頃は、ジジの家も近隣地域もなお旧暦の正月(「キューショー」と呼んでいた)で年始の神事と行事を祝っていた。
 ジジの家が新暦正月を「正月」として祝うようになったのはいつ頃のことであったであろうか?記憶という意味では定かではないが、恐らく昭和30年代に入る前後のことであったのではないか。そのころから、テレビ放送が始まり、いろいろな面で世の中が大きく変化して行った。


 今は、ジジも「正月」について「キューショー」を意識することはほとんどなくなり、”ああそういえば昨日が「キューショー」であったか”と気づく程度である。ところが、そのように「キューショー」に気づいて意識したとき、続いて、子供の頃はどのようであっただろうか?と思うものである。このあたりのことは、(第2回)「子供の頃の正月(備忘録)」と、第10回「子供の頃の節分行事(備忘録)」で紹介したが、今回も同じ思いの懐旧談である。(それぞれの表題をクリックするとそのページにリンクしています)


 さて、今回は、子供の頃の「とんど焼き」の行事を話題にしたい。
 とんど焼きは、地方により「どんど焼き」とも呼ばれるようであるが、正月の「神さん事」に飾った〆縄や門松など、正月のお飾りを焼いて正月に迎えた神様を送る行事である。この正月行事は、一般的にというか、現在多くの地方では新暦1月15日の小正月に行われる行事で、町中では神社などが催す行事に各家から〆縄などを持ち寄って参加するようであるが、ジジの家のように稲作農家のとんど焼きはどのようであったろうか?60年も前の記憶を繰ってみよう。


 ジジは「とんど」と発音していたように思う。とんどの日は、旧暦15日ではなく旧暦1月11日と決まっていたようにも思うが(そうでなかったかも知れない)、ジジが火の番をした記憶があるので、ジジの家では旧暦1月10日過ぎのおそらく小学校(ガッコ)の休みの日か退校時間に合わせて行っていたように思う。


 場所はそれぞれ各家毎の苗代田で行われた。苗代田でとんど焼きが行われるのは、年の始めにあたり稲作に一番大事な稲苗を育てる苗代田で火を燃やし、害虫を封じ、その年の豊作を願うという意味があったのであろう。
 ところで、とんど焼きで燃やす材料であるが、昔の百姓家のお飾りの量は相当大量であった。ジジの今住んでいる和歌山市内の家では〆縄や門松と言っても玄関と神棚の〆縄くらいであるが、上記第2回「正月備忘録」で書いたように、昔は門松の雄松雌松の立木、神棚2箇所や玄関・農具小屋の入り口の〆縄、農具等のしめ飾り、門田の「造り初めさん」等相当なボリュームであった。


子供にとっては立春を過ぎた新暦2月中旬の初春の行事であったが、とんどの残り火で焼く餅も楽しみであった。その頃は正月の丸餅はもうなくなっているので、神棚のお鏡さんを割った小片を焼くのであるが、その餅を食べることにより、その年の無病息災を祈念したのである。