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あれこれ・あるがままに(第112回)    平成29年8月5日
                          
  
日野原重明先生帰天を追悼する  

 平成27年7月29日付け朝日新聞土曜版の【105歳 私の証 あるがまゝ行く】欄に、「続者の皆様に最後のごあいさつ」と題するエッセーが掲載され、同稿の末尾に(5月下旬に口述筆記)と注書きされていた。私はこの十数年、毎週土曜日の同欄を楽しみにしてきたので、同欄の終了は大変残念で寂しい。なお、上記エッセー掲載の少し前、各メディアで日野原先生が7月16日に逝去された旨大きく報道されていたので、この最後のエッセーを謹んで拝読させていただいた。
 
 私は、平成18年12月にWEBサイト「時事折々」を開設し、同サイトに【あれこれ・あるがままに】という表題の随想記事(エッセ-)コーナーを設けたが、この表題の由来について、第1回で『今後、あれこれと折に触れて思う事柄を記事にして掲載する予定であるが、表題を単に「随想」とするのでは面白くない。先生のヒューマニズムとご長寿にあやかることができればと思い、「あるがままに」のワンフレーズをいただいた次第』という趣旨の説明をした。
 このように、当【あれこれ・あるがままに】コーナーは、生い立ち段階から日野原先生に勝手にお世話になったのである。以来、土曜日に日野原先生のエッセ-を目にしては、毎回「なんと偉い人やなー!!」という思いを新たにし、自身は1ヶ月に一度のペースでようやく雑文エッセーの更新を継続してきたが、それにつけても先生の偉大さに感嘆するばかりであった。

 さて、当【あれこれ・あるがままに】コーナー第1回のエッセーでは、表題を名付けたいきさつに加え、日野原先生の【95歳 私の証 あるがまゝ行く】に掲載された意見を引用しながら、次のような随想を記事にした。
   『聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、朝日新聞土曜版に「95歳 私の証 あるがまゝ行く」というエッセーを連載されている。たしか「91歳 私の証・・・」という表題から始まった筈で、もうかれこれ4年にもなると思う。その内容は日常活動等多岐にわたりいつも畏敬するばかりであるが、ときどき「あー!日野原さんも同じお考えなのか」ということで、自分の考えに権威付けが得られたような気がし、自信を持つことがある。例えば、最近のことでは、「皇室典範改正論」を目にしたときであった。
 それは、秋篠宮ご夫妻に男子が誕生した間もなくの時期に掲載されたエッセーであったが(掲載日H18,9,23)、政府が女系天皇を容認する皇室典範改正案の国会提出を見送ったことについて見解を述べたものである。冒頭で「国民にとって、久しぶりに明るいニュースでした。日本は今なお皇室の行事を大切にする国家なのだということがしみじみ感じられました。」との気持ちを述べられ、そのうえで今般の皇室典範改正案の実現は、日本における男女差別解消という点で「光と希望を投じる良き機会をもたらすものであり、見送りは残念」という価値観を開陳されたのであるが、私も同感である。』

 日野原先生の連載は回を重ね、平成23年10月8日(土)朝日新聞土曜版ではついに表題が「100歳 私の証 あるがまゝ行く」と年齢の表示がかわった。そのときのエッセーのお題は「100歳のバーを越えて」であり、終章で次のとおり纏められていた。
   『プラトンは人間の持つべき大切なもの、元徳を次のようにあげています。第1は知恵、第2は勇気、第3は節制、そして第4は正義。このうち第2の勇気を持った行動こそ、これからの私の人生を強く導くものだと思います。青年が持つような熱い情熱のこもった行動力を持ち続けること、それが私の最大の願いです。この決意を続者のみなさんにも伝えたいと思います。「私の証 あるがまゝ行く」と題したこの欄を始めて10年目に入りました。続者の皆さんと共にこれからも「あるがまゝ」の人生を歩み続けていきたいと思います。』

 当【あれこれ・あるがままに】コーナーの、第41回「色即是空」(H23/10/20公開)では、日野原先生の上記終章部分を引用させていただいた。今、本稿の起案に際し、当時先生の旺盛な生命力と向上心に大いに励まされた気がしたことを思い出している。
 そして、今日:8月5日(土)の朝、婦人が新聞に目を通しながら「日野原先生の記事が出ていないのは寂しいわね!」と漏らした。冒頭でも書いたが私も全く同じ気持ちである。

 本稿を結ぶに当たり、先生が帰天されたことについて謹んで哀悼の意を捧げる次第です。安らかなる眠りをお祈り致します。