HOME あれこれ・あるがままに(第59回) 平成25年4月19日 |
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ジジがこの世にお目見えしたのは1943年(昭和18年)春4月のこと、以来70の年を数えた。先日、30年に及ぶ公私両面の知己朋友から、1943年のオールドヴィンテージワインのプレゼントがあった。ラベルの表示から輸入元のホームページで調べると、末尾資料①のような説明があった。ジジの来し方とは違い、生まれた年からずっと寝かされていた超珍品である。 なお、このプレゼントに曲江<杜甫>の漢詩が添えられてあった。この漢詩のことは、今年初めに「古稀の思い」として話題にしたが(「第56回年始雑記帳」)、今回、詩の全文と、訓読、意解を末尾資料②に添付した。杜甫47歳(712年生まれ)の作という。 「人生七十 古来稀なり」という一節は、「古稀」の年齢に至った、または至る頃の心境のことであると思っていたが、そうではなく、「古稀」の年まで20数年前の作ということならば、1200年余の時空を超えて、杜甫もジジもその年齢の頃の行いと心情はそう変わらないのではないか?と気付いた。 すなわち、曲江の、 朝(てう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゆんい)を典(てん)し、 毎日 江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを尽くして帰る。 酒債は尋常、行(ゆ)く処(ところ)に有り。 という行いと、ジジの、 日日よろず引き受け仕事屋弁護士稼業、 夕ともなれば虚飾輝く新内(あろち)ネオン川を彷徨う、 行くところ「バランタイン17年」のボトルキープ有り。 という行いは似たようなものではないか。 そして、その心情として、曲江は、 人生七十 古来稀なり。 花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え、 水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ。 伝語(でんご)す 風光、共に流転(るてん)して、 暫時(ざんじ) 相(あひ)賞して 相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れ、と。 と語り、ジジ43歳の雑文では、 万億光年の宇宙に在り 花鳥風月を友 酒を友 人生 愛と出合を大切にし 生かされるままに 生く 色即是空 と書いた。おこがましくも、哲学的造詣の深さはともかく、似たようなものではないかと思うのである。 贈り主はジジをよく知るので、このワインと漢詩がこの4月に生誕70年のジジにうってつけと思って贈ってくれたのであろう。 問題は、”このワインをいつどのような機会に目覚めさせるか”ということであるが、確かなことは、これまでの眠りの間に比べほんのわずかの時間で目覚めるであろうということ。この先のジジ、毎日がもはや「古稀」を超えた時間の歩みにしてみれば、目覚めが遅きに失するを恐れ、コルク栓を抜く機会が早からんことを!!
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