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あれこれ・あるがままに(第20回)    平成22年2月22日

  
自 家 用 車 全 治
 
 ジジの自家用車はジャガー・ディムラーダブルシックス、乗り始めたのは平成4年6月だから今年の6月で満18年になる。その愛車が去る1月16日から修理工場に入院していたが、2月22日ようやく退院してきた。入院したのは「経年性障害」ではなく、「急性外傷性障害」が原因であった。平たく言えば、事故ったのである(自損事故)。
 1月16日(土)午後4時30分頃、中国自動車道下り線の西宮北インターチェンジ手前約4キロメートル付近、片側3車線の中央分離帯コンクリート擁壁寄りの車線を走行していた。一瞬の不注意があった。自動車の前部バンパー右角を中央分離帯コンクリート擁壁に接触させてしまったのである。幸運にも(としか言いようがないが)、その後左側の2車線を斜めに跨ぎ、自動車を左側路肩の待避車線に移動することができた。今回の自動車破損による修理箇所は、前部バンパー、右前輪の取り替えと右前部フェンダーの塗装程度であったが、修理期間が長くなったのは破損の程度が大きいからではなく、この自動車はジジが購入した年の平成4年に新車生産を打ち切っている関係で部品の調達が困難になっているためである。


 事故当日、午後
に予定されていた京都での用事に合わせ、正月に孫らの世話でてんやわんやであった(第19回)、たら婦人の慰労を兼ね有馬温泉一泊旅行を計画した。直前の計画であったが、気に入りの「中の坊瑞苑」を予約することができたのでハッピーな出来事になるはずであった。が、暗転した。


 高速道路上での一歩間違えば大事故に繋がった事故を発生させたのにもかかわらず、冒頭では「ジジの自家用車はジャガー・ディムラーダブルシックス!」と書いた。表面的には嫌みたらしい書き出しであると思われるかもしれないが、決してノー天気な余裕からではない。この事故のことを題材にしたのは次のような気持の経過である。
 すなわち、これまで40年近く上手なドライバーであると自負してきた自分であったが、今回の事故は自己の「進行性経年障害」ということをはっきりと受け入れさせられる嫌な出来事になった。これに加え、「果たして私の愛車が全治するのだろうか」という心配で事故後気分が落ち込んだのである。しかし、しばらくして修理工場から部品調達の目処がついたとの連絡があり、ようやく少し気持が落ち着き、「これだけですんでよかったなー」と思う気持を持てた。


 
 そして、「今後はジジ(爺)の年加減に相応の進行性経年所見を自覚した運転を心がけよう、そしてドライバーライフを美しく全うしょう。」と、この事故を教訓的に総括できる心境になった。このような気持からこの事故のことを題材にしたのである。 
 平成22年2月22日、二の重なる日、全治した自動車に再会することができた。

 
 以上、複雑な心情を披露したうえで、それでも自己満足のジャガー・ディムラーのこと。
 ジジがこの自動車に魅入られたのは約30年前和歌山市に戻った昭和56年のこと、出勤途上のディーラー店頭に飾られたその美しさに一目惚れ、その後、この自動車は眺めるだけの存在とし、当時乗っていたマークUから、コスモ、グロリア、シーマと新車を乗り替えてきた。平成4年に分不相応な値段にもかかわらずこの自動車を購入したのは、ディーラーから同年にこの自動車の生産が打ち切りになると聞いたからである。そのとき乗っていたシーマは同車出始めのもので大変気に入っていた自動車であったが、それよりも一目惚れの自動車が文字どおり一目惚れに終わっては堪らないということで、清水の舞台から飛び降りた。
 ここで、外車評論家徳大寺有恒氏の「新・間違いだらけの外国車選び」(株式会社草思社、1992年7月発行)記事抜粋を添付する。同氏がこの自動車の生産が打ち切りになるのを知ってあわてて購入したいきさつがジジに似ているのと、ジジが乗りまわすようになってからの気持をよく代弁している。
 同氏の表現は次のとおり。
 『ディムラーよりスピードの出るクルマはけっして少なくないし,ディムラーよりずっと高級なクルマもある。しかし、このディムラーのように、走りが高級なクルマはほかにない。』
 ジジの表現は次のとおり。
 『この自動車は、どんなに下手な人が運転してもヘタコが運転していることを感じさせない高級な走りになり、この走りを出せるのはこのクルマのほかにない。』


 徳大寺有恒 
 「新・間違いだらけの外国車選び」
 1992年(平4年)7月発行 草思社 
1968年(昭和43年)生産開始
誕生してから今年で48年