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あれこれ・あるがままに(第94回)    平成27年2月20日
                          
  
振 る 舞 い

 最近、朝日新聞be紙面(2/6付け)で「どうかな」と思う振る舞いの写真を目にした。その写真とは、ダークスーツに水色のネクタイを着用した紳士が(記事によると61歳)、大きく立派な木製事務用デスク正面側で机の上に腰を掛け、カメラに向かい、両手を斜め下に伸ばして手のひらを机につけ、足を組んで下ろし、背筋は伸びて顔には満面の笑みをたたえている。そして、その尻をおろしているデスクの机上正面左側に「既決」、右側に「未決」と表示されたA4版サイズの書類が分厚く入った大きめの文箱が恭しく置かれている、そんな写真である。(著作権と肖像権の問題があるため写真は転載できない。)

 このような振る舞いをして似合うイメージは、例えば、場所はアメリカ、体格の良いIT関連企業のCEO(最高経営責任者)が自社の業績の取材を受け、得意げな様子でノーネクタイ、自分のデスク正面側に半身で腰を掛けながら説明をしている、そのような構図である。しかし、掲載された写真の構図は、日本人の行儀作法にはなじまない少し傲慢不遜な感じの振る舞いに見えるのであった。 その写真の人物も日頃そのような行動パタンには慣れていないためか、すこしぎこちなく見える。

 2月6日土曜日の朝、たら婦人がこの紙面を見るなり、「なに!この写真!『高松高検検事長』と書いてあるわよ!!」。記事内容を見ての感想ではなく、写真の振る舞いを見ただけの感想であるが、ジジが受け止めた印象と同じである。見た目の立ち居振る舞いのことを言えば、どのような世界であれその世界の一定の立場に立つ者は、その世界の作法と品という形が期待されていると思うが、この写真の構図には違和感を憶えた。

 記事は、毎週、各分野で“フロントランナー”ともいうべき活動をしている人を紹介する企画であるが、上記紙面の記事は「児童虐待防止 検事が挑む」の見出しをつけ、「検事としてできることがもっとあるのではという思いが、通奏低音として自分の中で響いていた」というバックボーンと活動内容を紹介するものであった。検事の職責を越え、体制のひずみに思いを致し、社会正義実現のため実際に行動するという、同じ法曹であってもジジなど足下にも及ばない尊敬この上ない行動である。

 ジジが思うに、ジジが写真の印象と紹介記事に乖離を感じるのは、朝日新聞カメラマンの“やらせ”のためではないかと思うのである。担当したカメラマンは、本来の職責と違うジャンルの活動を紹介する内容であるから、椅子に着座した当たり前の写真の構図では構図的に面白くないと考え、カメラマンの方から写真の構図を注文したのではないか。検事長もプライベートではないとしても、本来の職責の紹介記事ではないという意識からカメラマンの注文に応じたのではないか?。

 ところで、その1週間後の2月13日土曜日のbeの紙面に、前週のフロントランナーの記事に多くの続者から尊敬するという内容の反響が寄せられた、という記事があった。

 しかし、ジジは、朝日新聞のカメラマンに“一言”言いたいのである。ジジのような72歳の老弁護士にも不愉快な思いをさせない、「検察官」の行儀作法に配慮した構図もあったのではないか?写真の「既決」「未決」の文箱の書類は、あるいは死刑を求刑しなければならないような案件も含まれていたかもしれない。そのような神聖とも言うべき机上に尻を置かせるのは検事の職責を十分理解していないのではないか、ということである。このコラムを書いた動機は、朝日新聞が写真の構図についてジジのような受け止め方があることに全く気が回らず、後日の反響欄で、よかった、よかった、という一面だけ扱っていることにも“一言”言いたかったのである。

 そのうえで、ジジの振る舞いの反省で締めくくりたい。偉そうなことを書いたが、「それではあなたの立ち居振る舞いや言動に品があるの?」と問われたら、弁解の一言もない。朝日新聞さん!「ごめんなさい」。