早トチリ感想文BOOKS:2015年2月

オジいサン(小説:京極夏彦)4


 2011年の作品。「オジいサン」なのだ。「おじいさん」でも「お爺さん」でも「オジイサン」でも「ジジイ」でも「くそ爺」でもないのだ。主人公・益子徳一という独居老人七十二歳が、近所の公園で未就学児童にかけられた声(発声)が「オジいサン」なのだそうだ。本人曰く「『い』だけが平仮名の『い』で、あとはカタカナ」。どういう発音なのか、こりゃ一種の「映像化不可能作品」だなあ、と思ってしまった。徳一老人は、未婚のまま60歳で定年後、住み慣れたアパートの一室で、慎ましやかに暮らしている。田中電気店の先代もなくなり、友人の桜井も石川さゆりのミュージックテープを残したまま死んでしまった。近所付き合いは薄いものの、ゴミ出しなんかは他人の迷惑にならないように暮らしているのだ。そんな徳一老人の1週間が描かれたコメディである。

 平穏に暮らしている徳一老人の周囲に、「現代人」が現れて、彼の生活や心を乱していく。そのさまを、老人のモノローグで綴られており、おんなじことを繰り返したり、言葉が出てこなかったり、読んでいて「まさに老人と会話している」気になる、ちょっとイラっとする内容になっている。石川さゆりのミュージックテープは、燃えるゴミか燃えないゴミか。ラベルは燃えるが、ケースは燃えない、テープは燃えるんだろう。と逡巡した挙句、カセットを分解するという暴挙に出る。また、「地デジ」がわからない。そもそも「じでじ」なのか「ちでじ」なのか、読み方すらわからないのだ。田中電気の二代目に「テレビが映らなくなる」と忠告されるも、受信料を払っているNHKが映らなくなるはずがない、と思ってしまう徳一なので、周囲の人たちと会話がかみ合わないのだ。

 回覧板を持ってくる菊田さんとか、スーパーみよし屋でウィンナーの店頭販売をしている売り子だとか、早口で適当な言葉を連発するオバサンが大の苦手である。心中、大いに反発しながらも、律儀に頼まれごとを引き受けたり、いらぬウィンナーを買ったりしてしまうのだ。また、コンビニの前でタムロしている中学生に注意しに行こうとしたりして正義感も強いのだが、喧嘩はいやだ勝てないと尻込みも同居したりして、なかなか前に進まない。本では、徳一老人の内面描写があるので、読者としては「変」に思わないのであるが、もし街中で彼を見かけたならば、何もしないで(目の焦点も甘いめで)ぼーっとしている老人、としか映らないだろう。あくまで、内面では大葛藤が起きているのだが、見た目は佇立しているだけなのだ。そのことに気がついてからは、ちょっと面白くなってきた。縁側でぼーっととしている老人も、心の中ではいろんなことを思っているのだろう。

 徐々に私も老人に近づいている。徳一ほどではないが、体が頭や心の動きについていけなくなってきているのだ。これは自覚がある。ただ、まだまだ好奇心もあって、徳一のように「新しいもの嫌い」ではないため、ちゃんとスマホも使えるし、4Kテレビが何者かも知っている。が、スマホや4Kテレビで何をしたいの?と聞かれると困ってしまうのである。そのうち、徳一のように「そんなものなくても困らない」と思いはじめると本格的に老人になってしまうのだろう。私の父のように、何にも使わないが新しいモノなら全部欲しい、という境地に至れば、老いもまた可愛げが出てくるのかも知れない。徳一老人は、気持ちはすっかり老人なのだが、ボケたり寝たきりになっていないので、まだ幸せかと思うのだが、面白いながらも思い切り笑えない本であった。
                              (2015.2.25)