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あれこれ・あるがままに(第79回)    平成26年11月22日

  
訪中経験と中国に対する気持の変化

<4回の訪中>
 本年9月末から香港で中華人民共和国に抗議をする学生中心の大規模なデモ活動が起こり、1989年(平成元年)の天安門事件を彷彿させる事態になっているが、まだ収束には至っていない。ジジは中国にはたら婦人同行で①1985年、②1990年、③1997年、④2000年の都合4回行ったことがある(外に中華民国を標榜する台湾には3回行った)。中国本土に行った4回のうち、初めの2回はあらかじめ現地ガイドを手配していたが二人だけのプライベート観光旅行であり、後の2回はそれぞれの企画担当者が案内するツアーであった。この4回の渡航目的と印象に残っていることは下記のとおりでありる。

 ①<1回目は約30年前の昭和60年(1985年)>
 主に桂林の観光が目的であった。予定では、1日目:空路で香港へ、高速艇で広州へ、空路桂林へ、桂林ホテル泊。2日目:桂林で船下り桂林ホテル泊。3日目:空路で広州へ、広州市内観光、スワンホテル泊。4日目:列車で香港へ、香港ホテルペニシュラ泊。5日目:空路帰国。

 初日に大トラブル発生。夕方広州空港で桂林までの搭乗券を受け取り、翌々日この場所でお会いしましょう、「再見(つぁいちぇん)」とここまでは順調であったが、ガイドと別れた直後に異変が起こった。日本人の桂林旅行ツアーのガイドが日本語で「飛行機が飛ばない、欠航だ。」と説明しているのが聞こえるではないか。初めての共産国で言葉も通じない異国のことでパニクったが、とりあえずタクシーに乗車し「近くの高級ホテルまで(心細さの裏返し)」と告げたところ、中国大酒店(チャイナホテル)」という立派なホテルに案内してくれた。
 度胸を決めて、ホテルのフロントに立ち(西洋人仕様のサイズのためたら婦人がフロントの前に立ってもかろうじて首から上の頭が出るだけ)、「今夜、宿泊希望」と筆談で伝えたところ、OKということになった。そこからまた先程別れたガイドに電話連絡をとるのが一苦労、携帯電話がなかった当時である。結局「桂林観光」は断念し、翌日ガイドの案内により「小桂林」というところを観光することになった。

 帰国のフライトでもトラブルがあった。チェックインのため香港国際空港の待合ロビーで待っていると、飛行機の便名と「ミシュタタナカ」と何回もコールしているのが聞こえてくるのである。チェックインカウンターに行くと、どうやら座席が重複してるので「次の便(4~5時間後)に変更して欲しい」と言っているようであり、そのかわりビジネスクラスの座席を用意すると言う。渋々でも了解せざるを得ず、強制的にたっぷりと香港国際空港を堪能させられ、ようやく伊丹空港に着いた。到着後その便のチーフパーサーが丁重なお詫びを言ってくれ、そして「自宅までタクシーを利用して下さい」ということで伊丹空港から和歌山までのタクシー券を渡してくれた。

 ②<2回目は天安門事件直後で渡航制限が解除された間もなくの平成2年(1990年)>
 物好きにも事件後の天安門前広場の様子と紫禁城及び万里の長城見学が目的であった。 旅行中は、予想どおり外国人観光客は大変少なくその国の激動の政情を目の当たりにした旅となり、また観光した何れの施設も想像以上の規模で中国の歴史を実感できる有意義な旅行であった。特に、黄色と朱色からなる故宮博物院(紫禁城)はまさに映画『ラストエンペラー』を彷彿させる幻想世界で、ジジは口を開けながら「あー!おー!」と言葉にならない声を発しながら見て回った。
 そして、出口近くになって現実の世界に戻ったとき、この旅行の土産話ができた。ふと見るとショルダーバッグの外側ポケットのチャックが開きポケットの中が見えていたのであるが、中に入れた筈の財布が見えない。財布には日本円約30万円と中国人民元若干が入っていた(カードやパスポートは別に入れていた)がその財布が消えていたのである。
 ガイドにこの話をしたが、既に「しゃーない!!」と割り切っていたので「被害にあった!えらい目にあった!」というニュアンスでなく、軽いノリで「手に入れた人は良い仕事になっただろう。この国では恐らく1年分くらいの収入になったでしょう」と言ったところ、ガイドは手を大げさに振りながら指を三本立て「ミトセ!ミトセ!」と言い、どうしても人民警察に届け出よという。時間がもったいなかったが、後日の土産話のネタになると思ってガイドの強硬な助言に従った。

 ③<3回目は平成9年(1997年)のこと>
 実はジジの従兄弟が木工家具製造販売会社を経営しており、ジジは同会社の顧問弁護士をしているのであるが、その節に催された上海第2工場の竣工記念式典に招待されたのである。同会社は1990年に中国上海に合弁会社を設立して中国に進出し、現在も盛業している。
 このときの思い出は、とにかく工場の規模が大きかったこと、爆竹が「バン!バン!バン!バン!」と鳴り渡る中国風の祝賀イベントであったことが印象に残っている。そして、その訪中の機会にゆっくりと上海市内観光をしたが、その当時の上海市内は高層化が進み表通りは整備されていたが、郊外との落差が大きいことが目についた。

 ④<4回目は平成12年(2000年)>
 和歌山県山東省友好都市協会(1984年発足)が派遣した友好訪中団の団員として参加した出来事である。参加することになったのは、団長で県会議員4期を努められた同協会会長の山﨑利雄氏から「先生(ジジのこと)、もう私も高齢やから次の機会は約束できない。私が向こうへ行くと山東省政府の歓迎行事と晩餐会が行われるが、その移動はパトカーの先導やで。一遍経験しとくのもええで!」と誘われたことからである。同氏はその20年ほど前から何回も訪中をされ、山東省と和歌山県の友好関係に大変功績があった方である。同氏は周恩来総理とも旧知の間柄だそうで、話しの中でよく「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れるな」という周恩来語録が引用されたのを思い出す。なお、山崎先生の挨拶でこの語録が引用されるときはお話が相当に長くなる。
 さて、最初の訪問地チンタオ(青島)の小学校で訪中団からピアノ1台の寄贈式をした。空港から我々のバスは白バイ(というのか?)に先導され、小学校手前で下車、そこから校内まで生徒の鼓笛演奏で迎えられた。あまりの熱烈歓迎に戸惑い、純真そうな生徒の歌声に涙が出てきたのを覚えている。
 翌日、山東省の省都済南に移動し、まず山東省政府要人との交流会見があった。会見場は大きな椅子をコの字型に配置したテレビのシーンに出てくるような豪華な会場で、先ず政府側の歓迎挨拶(省長であったか?)があり、山﨑団長の長い答礼挨拶がなされた。同時通訳ではないので相当の時間を要した。
 その後、特別席での京劇鑑賞があり、夜は歓迎晩餐会が催されたが、いわゆる乾杯!乾杯!でいささか深酒になった。そして、翌日は曲阜(きょくふ)にある孔子廟を見学、翌日上海で一泊し空路帰国。
 以上のような行程であったが、山崎先生のお誘いの言葉は大げさではなかった。

<中国に対する気持>
 ジジの中国に対する気持と見方は4回の訪中当時と今とではずいぶん違う。

 訪中当時のジジは、中国のスケールの大きさと10億余りの人の口を賄うのは大変だろうなということから畏敬の念を持つとともに、この食を分配するのは共産主義体制がベターではないか、という気持を持っていた。そして、当時経済的に我が国が圧倒的優位であったこともあって、中国に対しては同情的、肯定的、好意的な気持であった。

 ところが、その後中国の経済が飛躍的に発展し、我が国を追い越し米国と肩を並べるまでに至ったのであるが、国土も人口もスケールが大きいだけにその過程の病理現象もまた大きく、この病理現象が隣国の我が国の衣食にも重大な悪影響を及ぼすようになった。
 ジジの中国に対する気持は、野菜の残留農薬や毒入り餃子を始めとする不良加工食品等、食の安全に対する問題が噴出するに至り、ジジの中国に対する気持は完全に風向きがネガティブの方向に変わった。また最近の中国の大気汚染問題に対しては、我が国の発展途上にもあった病理現象というような同情的な見方はできず、黄砂ならまだしも汚染物質のP2.5が我が国にまで降り注ぐとなると、中国に対し嫌悪感すら覚えてくる。更に、近時の二国間問題における中国の尊大な対応や、つい先だっての小笠原諸島における大船団による赤珊瑚密漁問題において、ジジはついにチャイニーズフリー宣言。中でも食については生産国中国製品は完全拒絶である。

 このコラムの出稿前にたら婦人が目を通し、「訪中一回目のときは人民服だらけで、走っている自動車はおんぼろ車ばかりであったことも取りあげたら如何(どう)?」と言った。そう言えば、ガイドは発展途上国ナショナリズムの気持が強い人で「私達の国も3年経てば何もかも・・・」と言い、ジジが差し出す心付けには「労働の対価以外は受け取れません」という潔癖な人物で好青年であった。しかし、ジジはたら婦人に「20年経っても日本に追いつかんな!」と言ったのを思い出した。
 それが30年経った今やどうだ!「富裕層」なるクラスが台頭し、日本製品を買いあさり、観光地では中国語が氾濫する時勢になった。たら婦人の楽しみの一つは温泉であるが、有名温泉のハイクラス旅館でさえも中国人が大勢訪れており、そして、中国婦人のお風呂でのマナーの悪さにたら婦人は眉根を寄せ顔をしかめる。たら婦人は加えて「この施設に中国人を受け入れなかったらいいのに!!」というが、受け入れは施設の経営の問題であり、マナーの問題は国民性と社会の習熟度という点から理解できなくもないが、ジジも電車等の公共施設での傍若無人ぶりにはたら婦人と同感!!!
 関係ないが、今日は11月22日、語呂合わせで「イイ夫婦の日」で結び。