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あれこれ・あるがままに(第67回)    平成25年12月22日

  
叙勲の続き(伝達式の写真とお祝い会)
 
 
 叙勲の関係では、前回速報として勲章伝達式当日の日程を取り上げました。今回は先ず当日の進行に従った写真を添付し、次に11月30日(土)のお祝い会の様子と写真を添付しました。

                       勲章伝達式当日の写真


ホテル・ルーム

ルームの眺め

帝国ホテルロビー

最高裁判所

最高裁判所

最高裁判所

伝達式式場前

伝達式式場

大法廷

大法廷内

懇談会

懇談会

皇居外苑

バス車内

皇居 
 
皇居記念写真
 
拡大

祝賀会記念写真

祝賀会記念写真

 記念撮影
   
全ての行事を終わった翌日(11/12)帰りの飛行機から見た富士山

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                お祝い会の様子     お祝い会写真ページ<クリック>

<お祝い会案内状>
 謹啓 時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、この度、当事務所所長である田中昭彦弁護士が、永年にわたる弁護士活動及び弁護士会活動並びに自治体行政委員活動等の貢献が認められ、本年度秋の叙勲において、旭日小綬章の栄誉に浴することとなりました。
 本人はもとより私ども事務所にとりましても大変喜ばしい出来事と存じます。
 そこで、僭越とは存じましたが当事務所主催により下記のとおり「受賞お祝い食事会」を開催いたしたく、ご案内を差し上げることといたしました。
 なお、アット・ホームな会としたいとの本人の希望により、時間帯をお昼とさせていただき、来場は平服で、ご案内は本人が日頃お付き合いをさせていただいている方々及びご親戚の方々とさせていただきました。
 また、お祝いの品等は固く辞退したいとの本人の意向がありますので、お気遣いはなさらないよう併せてお願い申し上げます。
 時節柄公私ともにご多忙のところ恐縮に存じますが、本会の趣旨にご賛同いただきましてご来臨賜りますようお願い申し上げます。

日 時 平成25年11月30日 午前11時30分開宴
  会 場 ホテルグランビア和歌山6階 ル・グラン(TEL074-425-7711)
  会 費 なし
     敬具
平成25年11月吉日


吹上法律事務所
発起人代表 遠  藤  桂  介
TEL073-428-3818 FAX073-428-0053

(恐縮ですが、11月16日までに同封の葉書で出欠のご連絡をいただけますようお願い申 し上げます。)

<お祝い会次第>
           お 祝 い 会 次 第
1 開会の辞   藤田隼輝弁護士(司会者、吹上法律事務所)
2 開会の挨拶  遠藤桂介弁護士(発起人、吹上法律事務所)
3 受章者挨拶  田中昭彦弁護士(受章者、吹上法律事務所)
4 祝 辞    佐藤裕人弁護士(司法修習同期、佐藤法律事務所)
5 乾 杯    瀬戸康富弁護士(大学同級生、平野町法律事務所)
  (食事開始、歓談)
6 箏曲演奏   上岡美穂弁護士(吹上法律事務所)
7 出席者とのつながり  受章者田中昭彦
8 スピーチ
9 受章者夫婦各テーブルにご挨拶
10 花束贈呈   山田真悠子(長女夫婦の子)、糟野太希・由佳(次女夫婦の子)
11 閉会の辞   遠藤桂介弁護士
                             お祝い会写真ページ<クリック>


<挨拶の下書き>
お祝い会挨拶(H25/11/30 ホテルグランヴィア)
① 本日は、旭日小綬章の受章のお祝いということで、多数ご参会下さいましてありがとうございます。思えば、夫婦が中心のお祝い会というのは45年前新和歌浦観光ホテルで行いました結婚披露宴以来です。たいへん面映ゆい気がしています。勲章については、この11月11日、最高裁判所において、最高裁長官から勲記・勲章の伝達を受け、その日の午後皇居に参内し、天皇陛下に拝謁することができました。大変光栄な出来事でした。

② ところで、今日のお土産袋に恥ずかしながら1冊の本を入れています。発刊のいきさつは「はしがき」に書きましたが、今日のために急遽作成しました。この本の「あとがき」の次に夫婦の写真があります。この写真は5年前秋の園遊会に出席したとき帝国ホテルロビーで写したものですが、今回も同じ場所で全く同じ装束で写真を写しました。ですから、この話しからお分かりのように今回衣装代は全くかからなかった訳です。私のモーニングは45年前の結婚式で使ったもの、妻の着物は5年前の園遊会の時のもの、安上がりでよかったのです。

③ 余談ですが、勲章の威力は凄いものです。今回、帝国ホテルはインターネット予約で早割の一番安いスタンダードタイプをキープしていました。ポーターに部屋まで案内される途中、「今回はどんなご用で?」と聞かれましたので、私は「叙勲や」と答えたのです。勲章の威力はここからです。
 案内された部屋で「ちょっと狭いな」と話しながら荷物を解いているとフロントから電話があり、「今回叙勲でお泊まりいただけるとのこと。もしよろしければ、もう少し広いお部屋をご用意できますが」と連絡があり、部屋を変えてくれました。その部屋は二間続きで豪華なスイートタイプでした。わが婦人の貧乏性はここで現れます。「こんないい部屋で、帰りのチェックアウトの時どうなるのかしら」と心配したのです。私は「そんな心配はないやろ」と言いましたが、部屋のグレードが余りにも違ったので正直少しは心配しました。
 その夜、ホテル内の鮨割烹で夕食をして部屋に戻ったら、応接テーブルに帝国ホテル社長の名前で大きなフルーツ盛りが届いていたのです。「ご連絡をいただけたらセッティングさせていただきます」というメッセージ付きでした。びっくりしていると、今度は直ぐにボーイのノックが有り、ホテル総支配人から花束が届いたのです。これは全て「叙勲」の一言から始まったことです。たいした出来事で大変気に入りました。

④ 私は、現紀の川市、当時那賀郡川原村大字野上という在所で、昭和18年4月、明治28年生まれの父田中清一郎数え50歳、母岩子・36歳のときに生まれました。なにしろ、50のときの子供ですから父は大いに喜んだであろうと思いますが、反面、自分が65になっても私がまだ15ですから行く末が不憫で心配であったろうと思います。
 私は、このような生い立ちの中で、自由気まま・そのまま・飄々と過ごしてきました。先程の本の148頁で「洒落のまた洒落」と題し、自分の生き様を振り返って次のような駄文を掲載しました。
    五十路の父や 感涙の 露に包まれ 生まれ落ち
    花鳥風月 酒を友 出合重ねて 桜かな
    色即是空 露の生 南無大師遍照金剛
    出合冥利の 同行二人 浮き世巡りの 同行人
    この世あの世も お大師さま 行くはとこしえ 高野墓碑 合掌
 感傷的な表現だけで特に意味はありませんが、「高野墓碑」の一節は後ほど紹介するとして、私自身はまあそんなものだと思っています。このような私に「同行」してきた婦人は面白くもあり、また大変なことでもあったと思います。今、二人の娘を育て上げ、孫4人の「おばあちゃん」となりました。ここは、まず婦人に感謝すべきだとおもっています。

⑤ ところで、私の父は農業をする傍ら、農協組合長、合併後の粉河町議会議長などを努めました。その彼は、終戦後の農地解放の際、小作人側農地委員として農地改革の事務に携わりました。それまで絶大な力を持っていた地主階級の権利を制限する線引き作業でありますから、地主の抵抗が大きく、困難な作業であったことは想像できます。彼は小作人側と地主側が対立したとき、理屈ということではなく、常に「法律通り」という一言を大声で主張し、小作人側に不利益にならないよう尽力したということです。 そのことで、彼は亡くなるまで村人から感謝と尊敬をうけて人生を全うしました。子供の頃、村の人から私にまでよく「あんたのお父さんのお陰や、えらい人や」と言ってくれました。
 私が今日この場で父のことを申し上げましたのは、私は勉強はそこそこだったんですが、幼少の頃に瀕死の大やけど、小学校では手の骨折、また高校卒業の頃には単車事故による大怪我等、父母にはたいへん心配をかけてきました。そんな私に対し、彼は『身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは考の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕わすは、孝の終りなり』と説教をしました。今日の挨拶を考える中でこのことを思い出し、もはや名を後世に揚げることは適いませんし、今後このような機会もないと思いましたので、あえて父母の名前を自分の口で顕した次第です。

⑥ さて、この後は私流でもう一言。
 いやー!今回の勲章の出来事についてはびっくりしました。発表の前頃から勲章関連商品の分厚いパンフレットが連日どさっ!どさっ!と送られてきたのです。どうして発表前に私の氏名住所が分かるのか? 最近は個人情報の管理が厳しいのに不思議でびっくりです。
 そして、今度は発表があった11月3日からは、豪華な胡蝶蘭や盛り花がそれはそれはたくさん届いたのです。玄関廊下から階段までセレモニーホールの祭壇のようになったのです。この様子にわが婦人は「まるでお父さんの生前葬みたいね」と宣いました。その心は「本番が近いか遠いか知りませんが、そのときはこうはいきませんよ。質素でいきましょうよ。」ということでしょう。

                            お祝いの豪華な胡蝶蘭<クリック>

⑦ 生前葬と言えば、私ども夫婦は5年前、高野山龍泉院において生前受戒を受けました。私の戒名は「正観院唱義昭道居士」、妻は「正受院慈香貞順大姉」であります。その折、高野山に夫婦の祈念墓碑を建立し、龍泉院住職を導師として開眼法要を行いました。祈念墓碑のことは、先程の本の41頁で取り上げましたが、戒名とともに次のように刻みました。
     万億光年の宇宙に在り
     花鳥風月を友 酒を友
     人生 愛と出合を大切にし
     生かされるままに 生く
     色即是空 昭彦 
     合掌 紀代子
 この祈念墓碑が悠久の地で苔むしてやがて無縁仏になりぬれぬ、ということもいいかなと思っている次第です。

⑧ 最後に、叙勲についての感慨をもう一言申し上げたいと思います。
 今回同じく受章した女優の方は「女優に定年はない。体の動く限りこの道を全うしたい。叙勲は励みになる。」とコメントしていました。
 私の場合は、定年がないのは同じですが、弁護士稼業では定まった道というものはなく、年のせいか六法全書の字も定かには見えなくなってきました。そして、叙勲を「励みにする」というような真面目さもなく、行き先心配ですが、ま!「叙勲を受けた弁護士」という名だけは汚さないように気をつけながら、できるだけ時間を先延ばしして「人生を全うしたい」と思っています。

 なお、袋に入れさせて頂いた本は出口に積んでおきますので、お帰りのとき何冊でもお持ち帰りになって下さい。本日はありがとうございました。

お祝い会の写真> 
      お祝い会写真ページ<クリック>