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あれこれ・あるがままに(第64回)    平成25年9月20日

実に面白い大構想

和歌山城を4方向から撮影
  北からお橋廊下
 
 北から和歌山城
 
 北東から大門
 南から岡口門
 西から和歌山城

 たら婦人が9月7日土(土)の昼食の会話の中で漏らした、実に面白い大構想を紹介する。それは、「和歌山城を国宝に指定されていた当時そっくりに木造でほんまもんの復元として建てかえたら良いのに!」という構想である。
 この大構想が出たきっかけは、この前の8月27日、水戸市の偕楽園好文亭を見学したときに経験した「なかなか見応えがあったなあー」という話題が出たのがきっかけであった。その旅程は、8月26日(日)関空からフライト午前9時半羽田着、レンタカーで東京アクアライン・海ホタル経由、千葉市へ、土浦の水郷経由、水戸市へ、水戸プラザホテル泊、なかなかのホテルであった。翌日は午前に宇都宮裁判所で本業の仕事、午後4時頃羽田着。走行距離470キロメートルという行程であった。


 偕楽園は江戸時代に水戸藩の第九代藩主徳川斉昭が天保13年に造った広大な庭園で、明治6年に茨城県の管理となり、明治43年の「高等小学校教科書巻一」で「日本の三公園」と紹介されて広く知られるようになったという。大正11年には史跡名勝天然記念物保存法による「史跡名勝」に指定され、好文亭は斉昭が設計した偕楽園の中心となる木造の中二階がある三階建ての建物であるが、和歌山城と同じく終戦直前の戦禍により焼失し、昭和33年に焼失前の木造建物を忠実に元のまま復元したということである(偕楽園公園を愛する市民の会発行:偕楽園なんでも百科)。
 見学を終えての感想は、なかなか落ち着いたたたずまいの建物であり、建築当初の仕様そのままの再築であるということから建築当時の生活やその後の歴史を想うことができ、見応えのある施設であった。


 和歌山城は昭和10年に国宝に指定された名城であったが、昭和20年7月9日の和歌山空襲により不幸にして焼失し、今の和歌山城は好文亭と同時期の昭和33年に再建された。しかしながら、好文亭の復元と違うのは、和歌山城の再建は外観は国宝に指定されていた当時と同じようであっても鉄筋コンクリート造りで建築されたという点である。
 たら婦人は昼食の会話で、「今の和歌山城はコンクリート造りであるからなにかほんまもんではないような気がする。好文亭の復元のように、和歌山城を国宝に指定されていた当時そっくりに、木造でほんまもんの和歌山城と言えるような建物に建てかえたらよいのに!」という大構想を持ちかけてきた。(たら婦人はテレビの「なんでも鑑定団」という番組がひいきで「ほんまもん」にこだわるのである。)


 和歌山城の再建は(ニュース和歌山2008年1月1日特集記事によると)、戦後10年がたち市民から城を懐かしむ声と再建を望む機運が高まり、昭和32年再建工事着工となった。再建に当たっては、木造か、鉄筋コンクリートかの議論もあったようであるが、当時は木の入手が困難で経費も比べものにならないということから、主として建築費の関係から鉄筋コンクリートでの再建に決まったという。
 当時、なお物不足、住宅難の社会状況で時期尚早の批判もあったが、時の高垣善一市長の英断により再建が決定され、同市長は「市民の浄財をを中心とした再建」という方針を立てた。再建費用約1億2000万円のうち、和歌山市内から約3800万円、県外から1142万円、その他の寄付が集まり、市からの支出は1300万円であったという。この再建についていかに市民の支持が大きかったかということが理解できる。
 再建和歌山城はその後戦後復興のシンボルとして半世紀にわたり市民に親しまれてきた。現在故高垣市長は和歌山市の名誉市民である。しかし、たら婦人はその経過を肯定したうえで、「再建コンクリート造り和歌山城はその役割を十分に果たしたと思う、ここらでほんまもんに建てかえたほうがお城の値打ちがもっと上がるんじゃないか?」と言うのである。


 ところで、この「国宝に指定されていた当時そっくりに木造で復元」という大構想に伴う工事費用はどの位かかるであろうか。
 和歌山城管理事務所で聞いたところ、大天守は3層3階建延べ床面積962.9㎡(約291坪)、小天守は2階建239.1㎡(約72坪)、回廊を含めた全体の床面積は2067㎡(約625坪)であるとのこと。
 現在、高野山金剛峯寺では高野山開創1200年記念事業として伽藍中門の再建工事が進行中である。ネット検索の知識によると、建物概要は2層五間三戸楼門、木造(伝統木造架構、積層壁、制振装置取付)、屋根檜皮(ひわだ)葺き、延べ216m²(65坪)であり、この工事費用は総工費14億円、周辺整備を含めて18億円」であるとのこと。これを元に計算すると建物自体の建築単価は坪当たり約2153万円ということになる。
 和歌山城の復元と高野山中門の復元では工事の難易に違いがあると思うが、この建坪単価を元にすると、回廊を含めた全体(625坪)の建築費用は150億円程であろうか。建物解体撤去費用は当てずっぽうで50億円、周辺整備としてバリアフリー化のために石垣等の外観を損なわない形で半地下式エスカレーターかエレベータを設置したい、これらの費用に50億円を計上すると、「国宝に指定されていた当時そっくりに木造で復元」という大構想実現の総工費は250億円程という見立てになる。ジジは当たらずと雖も遠からずの数字であろうと思う。


 和歌山市のキャッチフレーズは、『水と緑と歴史のまち 気くばり・元気 わかやま市』である。水戸市でも『水と緑と歴史のまち』というフレーズが使われていたが、この『歴史』というのはいずれの市も徳川時代の御三家を意識してのことであろう。この稿を書くジジの気持ちは、「水戸っぽ」には負けたくない、偕楽園好文亭の復元には負けたくない、である。


 この「実に面白い大構想」が実現した場合の市民の満足感、観光資源としての価値、経済的効果は容易に想像と理解ができるが、問題は建てかえ資金の調達である。ズバリ「和歌山カジノ特区構想」はどうであろうか。これまで日本国内のカジノ構想は、「浮かんでは消える」都市伝説のようであり、東京では「お台場カジノ構想」、最近ではアベノミクス「仙台カジノ特区」構想が云々されている。仙台は「復興カジノ」構想であるが、こちらは「復元カジノ」構想である。

 来年和歌山市長選が行われるが、現職市長では故高垣市長に遠慮があってこの「実に面白い大構想なり」を取りあげられないと思う。新人候補であれば「実に面白い大構想なり」としてぶち上げれば票の少しの嵩上げに繋がるのではないか。以上、ジジとたら婦人のとりとめもない昼食の会話より。以上おわり。


 追記 この原稿をアップした後和歌山城の写真を添付するため、9月19日に和歌山城を各方向から撮影してきた。右端の写真は県庁前歩道橋から撮影したものであるが、それまでの4枚の写真と景色と雰囲気が違い建物がごちゃごちゃと写っている。この場所は元お城の敷地内であった一画であるが、現在民有地になっている。この一画がなければお城の西からの景色はたいへんすっきりする。たら婦人はこの点でも「ここを買い上げたらいいのに!」という意見である。
 平成6年に和歌山マリーナシティで「世界リゾート博」が開催されたが、そのときの剰余金は約30数億であったという記憶がある。和歌山県はこの資金で「世界リゾート博記念財団」を設立し、同財団の事業として平成7年から同11年にかけて県内の中学生約1680人と指導者245人を海外に派遣した。
 たら婦人は当時「リゾート博の剰余金で西側民有地の一画をお金に糸目をつけずに買収したらよいのに!」という意見であった。
 それはともかくとして、今回の「実に面白い大構想なり」が実現したときは、第2次事業として、たら婦人の言う「お金に糸目をつけず」この一画を買収してほしい。恐らく、第1次大構想実現後であれば民有地所有者も意義を理解してくれ、買収に応じてくれるのではないだろうか。これはジジの意見。