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あれこれ・あるがままに(第63回)    平成25年8月17日

  
8 月 の 想 念
 
 
 8月の月は、6日が広島原爆記、9日が長崎原爆忌、15日がお盆で終戦の日ということで、いずれも死者のことが頭に浮かび、また、16日の新聞では、「エジプト治安当局は15日のモルシ前大統領派の強制排除により死者数が638人、負傷者は3994人になったと発表した」と、悲惨なニュースが報道された。


 「想念」とは辞書の解説によると、「心の中に浮かぶ考え」ということであるが、この月は、生命や人生、人の行く末、自身の余命などのことが心に浮かぶことの多い月であった。


 そんな折、新聞の下段書籍広告欄で次のような案内が目についた。この本の著者が宗教家であれば読まずとも内容が想像できてしまうタイトルであるが、著者の肩書きに興味がわいたのでアマゾンに注文した。
 
著  者  矢作直樹
 肩  書  東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授
        医学部附属病院救急部・集中治療部部長
 タイトル  「人は死なない」(ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索)


 届いた本の帯紙には次のような記載があった。ジジがこの本で期待したのは宗教家とは違う科学者の切り口と分析であったが、帯紙の記載の表現から既に科学的証明とは離れた内容と読み取れ、本を取り寄せる気持になったときの興味はその時点で半減した。


 
<表面>
  神は在るか、魂魄は在るか。
  生命の不思議、
  宇宙の神秘、
  宗教の起源、
  非日常的現象。
    
(筆者注;魂魄=こんぱく、人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊)


  生と死が行き交う日々の中で、
  臨床医が自らの体験を通して思索した
  「力」と「永遠」、そして人の一生。


 <裏面>
  第1章 生と死の交差点で
  第2章 神は在るか
  第3章 「霊」について研究した人々
  第4章 人は死なない



 ジジは帯紙だけで興味半減であったが1300円の元を取ろうとして、第1章から第4章まで斜め読みをした。しかし、その内容は、やはり宗教家の著作と同じような伝聞と自身の経験を語るもので、客観的事実を散りばめたものではなかった。
 著作の内容は、著者自身が「あとがき」の中心部分で述べている次の一節に尽きるというのが感想である。
 『・・・なお、本書で紹介した霊魂についての様々な事例については、なかなか信じることができないかもしれません。ただ、私としては頭から先入観をもって否定するのではなくそんなこともあるのかもしれないな、といった程度の思索のゆとりを持っていただければ、と思うのです。
 実のところ、本書のモチーフは極めてシンプルなものです。人間の知識は微々たるものであること、摂理と霊魂は存在するのではないかということ、人間は摂理によって生かされ霊魂は永遠である、そのように考えれば日々の生活思想や社会の捉え方も変わるのではないかということ、それだけです。そして、それを繰り返しているに過ぎません。そのため、くどく感じられる読者もいらっしゃるかもしれません。ご容赦下さい。・・・』
 (筆者注;著者の論は科学者としてのそれではなく宗教家の理論でないのか)


 それにしても、アマゾンの、本の注文・配達システムは驚異的な便利さである。朝起きがけに新聞朝刊の広告を見て、クレジット決済で注文すると送料無料で当日の夜寝る前までに配達される。おかげでジジの枕元は読みかけの本が山積み状態という状況を呈しているが、これを「つん読」という。