時事折々トップへ

        
あれこれ・あるがままに(第57回)    平成25年2月21日

  
若手弁護士岩手県から和歌山へ(岩手の思い出)
 

 この1月、岩手(いわて)弁護士会に登録していた若手(わかて)男性弁護士が和歌山弁護士会に登録替えをし、和歌山の地で独立開業をした。ジジ所属法律事務所の女性弁護士が男性弁護士の妻と交流があったことから、先日歓迎懇親会を持ったが、たいへん好感の持てる夫婦であり、両君のこれからの活躍と事務所の大いなる発展を期待したい。
 上記弁護士は岩手弁護士会で5年の実務経歴を経ての独立である。ジジは昭和56年4月に司法修習終了後直ぐに和歌山の地で独立開業したが、勤務弁護士を経ないいわゆる「即独」であった。三十数年前のことであり同君と少し事情は違うと思うが、同じく和歌山の地での実務経歴がない中で独立開業したという意味で共通事情があることから、懇親会では同君の不安をよそに「大丈夫!やっていけるよ!」などと無責任な先輩面をしてしまった。(ジジを知る人は目に浮かぶようであろう)反省!


 だじゃれでお祝い
 縁あって 和歌山の地で 独立を 岩手の友も 皆祝ってけん(岩手県)


 閑話休題
 岩手県は、人口およそ135万人、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接し、面積は日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い県であるが、ジジの住む和歌山から遠くなじみが薄かった。しかし、平成23年3月に東日本大震災が発生し、岩手県沿岸部に甚大な津波被害がもたらされたことで、陸前高田、大船渡、釜石、宮古など津波被害が大きかった地域の地名が頭に焼き付けられた。現在、これらの地域は復興途上にあるが、一日も早い復興と再建が成りますよう祈念する次第です。合掌。


 閑話休題 
 岩手県を旅した思い出二題。
 最初は、昭和58年9月、仙台市で開業する友人の弁護士の結婚披露宴に招待されたときのこと。
 せっかくの仙台までということで、京都在住の新婚弁護士夫婦を誘い、9月29日に飛行機で青森まで行き、翌日(9/30)は朝からレンタカーで八甲田山経由十和田湖から岩手県二戸市へ、そこから国道4号線を盛岡まで岩手県内中央部をドライブ、新幹線経由、その夜は日本三景の一つ「松島」で宿泊、同所で披露宴に出席する宝塚市在住のもう一人の弁護士と合流、翌日(10/1)に仙台市内であった披露宴に出席したという出来事があった。
 その披露宴はというと、媒酌人が大臣を歴任された超大物国会議員であり、正午の開宴、国会議員先生は媒酌人として長い挨拶の後中座、その後延々と祝辞が続きジジもお祝いのスピーチを担当した。そしてお開きは午後4時ころという約4時間の長丁場であったということが印象に残っている。
 実は、この結婚をした夫婦の二人とも弁護士である。男性弁護士とジジは司法修習地が同じく奈良であった関係で親しくなったのであるが、この御仁は厚かましいというか自由奔放な方というか、当時のジジの住まいに入り浸りになり、修習期間中は頻繁に、夕方「奥さんただいま」、朝は「行ってきます」というような振る舞いを遠慮嫌みなく行える大物で、その後の弁護士稼業も発展し、今持っている自動車はフェラーリ(575マラネロ)とレンジローバーである。また、修習期間中には、後に結婚することになった女性が度々千葉から奈良を訪れ同宿し、その度ジジの住まいにも来たが、ジジは二人に結婚に踏み切るように後押しをした。後押しの文句は「とにかく法律上の結婚をするように!それでないと離婚もできないよ!」という訳の分からない言葉であった。
 ちなみに、仙台の披露宴に同行した「京都在住の新婚弁護士夫婦」もジジ夫婦が見合いの世話をし、「松島で合流した弁護士」については「人前結婚式」の典礼を執行し披露宴の司会をした。ジジ夫婦は生来の世話焼きなのである。

 ところで、夫婦は結婚後三人の子供を設け、30年余の家庭生活を営んだが夫の外での自由奔放さが過ぎるという問題があったものの円満に推移した。しかし、平成23年9月妻の女性弁護士が早世されるという誠に残念な事態となり、ジジは仙台で行われたお別れ会で思い出のスピーチをするということに相成った。合掌。


 次に、昭和60年8月、子供ら(中2、中1)との家族旅行をしたときのこと。 一日目(8/1)全日空機で仙台着、岩手県花巻市まで移動し花巻温泉ホテル紅葉館で宿泊。二日目(8/2)平泉方面観光(中尊寺、毛越寺など)、宮沢賢治記念館見学、仙台市に移動し仙台ワシントンホテルで宿泊、三日目(8/3)東京ディズニーランド観光、近くのホテルで宿泊。四日目(8/4)東京に移動し浅草見物、夕方羽田発午後6時の日航123便伊丹行きで帰途についた。
 この旅行がその後のちのち家族で忘れられない出来事になったのである。帰ってから8日後の8月12日に航空史上最悪の事故が発生した。私たち家族が約1週間前に乗った同じ時刻の午後6時羽田発伊丹行き日航123便が墜落したのである。520名もの犠牲者を出す大惨事であった。合掌。


 以上、反省とだじゃれ、加えて合掌三題。