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あれこれ・あるがままに(第49回)    平成24年6月21日

  
満 2 0 年 の ご 長 寿
  

 ジジの愛車ジャガー・ディムラーダブルシックスは、この平成24年6月5日で初度登録後満20年経過、走行距離15万キロあまり。平成23年6月車検証の記載内容は次のとおりである。
 登録番号 和歌山33た○○○○  登録年月日 平成4年6月5日
 初度登録 平成4年6月        車 名    ダイムラー
 車両重量 1910s          車両総重量 2185s
 (クラウンロイヤルサルーンの総重量より約280s重い→クラウンに小錦を乗せた重さ)
 車台番号 SAJDDJLW3CR○○○○○○
 長さ 496p    幅 177p   高さ 137p
 前前軸重  1050s         後後軸重  860s 
 型式     EーDLW         原動機型式 7P
 総排気量  5.34L         燃料の種類 ガソリン


<車の稼働年数と人の一生>
 5掛けで対比させると面白い。
 (車)  (人)       (有り様)
  7年  35歳  転売・転職可能時期、元気はつらつ
 10年  50歳  現役最中稼働能力発揮、そろそろ行く末が見える時期
 12年  60歳  メンテ必要なパーツも、人は還暦、定年・再任用の時期
 14年  70歳  現役稼働は個体差・個人差が大きい、人は古希
 16年  80歳  おおむね現役引退、人は傘寿
 20年 100歳  ご長寿万歳


<ジャガーでのドライブ>
 南紀方面、西国三十三所巡り、道後温泉、有馬温泉、湯田温泉、皆生温泉、岐阜長良川温泉、金沢、富山、軽井沢、霧ヶ峰、伊豆箱根、花巻温泉、等々。
 四国・中国・中部地方、関東・東北までの各地数え知れず。


<トラブルいろいろ>
 いずれも、ハイクオリティが売りの日本車では考えにくい類のトラブル。


※ 方向指示器バー折損 
 登録後初期の頃。左折指示をしたとたん指示棒が折れて落ちた。方向指示設備は日本車と違い左に付いているので、左折は左手で下に押し下げる。


※ スピードメーター不具合
 高速道路を走行中、スピードメーターに目をやるとゼロ表示!!!。2回あった。


※ エンジンルーム発火
 登録後3年半経過(平成8年始め)の頃、上記五掛け分類では高校生の頃である。生死の境をさまよう大病を患った。
 朝の出勤途上1キロも行かない地点で運転席下部から煙が入ってきた。???何のことか分からず停車できる場所まで約500メートル走って停車、エンジンを停止し、ボンネットを開けるとエンジンルームから黒煙がもうもうと上がってきた。狼狽の極み。幸い火の手が上がらず、間もなく煙りも治まった。
 それからが大ごと。エンジンルームは黒煙のすすで真っ黒、ディムラーダブルシックスは12発エンジンであるのでエンジン上部の構造配線はたいへん複雑であるが、それが黒こげで無残な様相になっていた。
 果たして修理可能か。可能としても修理費用はどれほどになるのか。輸入元とディーラー、技術者の皆様何とぞよろしくと祈る気持。このトラブルは保障期間の3年を経過していたので、修理費用は本来自己負担になる。関係者の協議の結果、この車の整備歴は完全でありジジの使用歴にも問題がないことから、車両自体の問題という扱いになり、必要部品はイギリスのメーカーが提供、修理工賃はディーラーが負担してくれるということになった。


 修理期間は1年あまり。関係者の皆様のご尽力により、エンジンに心地よい響きがよみがえり、エンジンルームは手入れが行き届いた美しい機械室、ジジの愛車は大病から見事に蘇生を果たした。感謝!感謝。(無事に退院した後日のこと、ディーラー経営者が見せてくれた修理明細書の内容は、部品代約400万円、工賃約100万円が計上されていた。このときのジジの負担は、修理期間中に2回目の車検が来たのでその費用のみ。)


 修理期間中は、知人から「M・ベンツ450SEL」を譲り受けて完全整備し、車検受けして代車として使用した。この車は、建設会社の経営者であった知人の父親が昭和50年代に新車で購入、2〜3年乗ったが、その後10年あまりは車庫に入れたままという車で、登録後15、6年経過した車であった。黒塗り、左ハンドル、4.5L V型8気筒のセダン、長らく続いたベンツのクラシカルタイプの典型的なフロントグリルであった。高くついたが、こちらのほうもなつかしい思い出である。
 
※ 室内天井布張り剥離
 登録後10年くらいの頃。同乗者なしで運転中、後方から頭、首筋を柔らかく撫でられる感じがして、ドキッ!としたことがある。室内の天井布張りが剥離してぶら下がってきたのであった。


※ プラグ点火不具合とエンスト
 登録後18年を過ぎた平成22年から23年にかけて工場入院を繰り返す時期があり、1年の間に工場で過ごすのが延べ数ヶ月という時期があった。エンジントラブルである。道路走行中にエンストも数回あった。道路上のエンストは惨めである。道路の端でトランクリッドを上部に開けたままにして修理工場の迎えを待つ間、ジジのジャガーを知っている人がニヤニヤとした顔つきで「どないしたんよー」と声をかけてくるのである。
 この症状は、平成23年の年末近くに完治した。滋賀県草津市に名医がいたのである。名医の治療後今まで半年あまり全く症状が出ていない。実は、当時、もう寿命か?とあきらめかけ、思わず電気自動車のニッサンリーフを見に行ったが、治ってきたジャガーを目にした途端、「あきらめかけた」のが申し訳なく、今は「おまえが先か、ジジが先か」の愛情深い気持ちでいっぱいである。