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あれこれ・あるがままに(第45回)    平成24年2月22日

  
デジタル社会
 

 「庭の花おりおり」という表題のホームページサイトを立ち上げたのは平成17年2月でしたから、先月(平成24年1月)の更新で丸7年、この2月で計85回目の更新となります。スタートのいきさつについては、平成20年1月のリニューアル時に同サイトトップページ下段に次のように書き込みました。


 【このホームページは平成17年2月にスタートしました。管理人の娘夫婦が米国に滞在するようになりましたので、ときどき我が家の庭に咲く花の写真をメールに添付して送っていましたが、しばらくして、娘から「花の写真のホームページを立ち上げたので、今後はメールのかわりにホームページの更新でよろしくね!」とのメールがありました。これがきっかけで、その後「自己満足の世界」にのめり込み、以後、毎月更新して現在に至っています。
 このようなわけで、このホームページは娘夫婦の長男と同じくアメリカ生まれでアメリカ国籍もあるのです。それだけのことで、庭の管理人のhtml言語の読み書きは I love you. が分かる程度です。 庭の花おりおり 管理人 】


 余談ですが、今、上記アメリカ生まれの男児は陽気な6歳ボーイで、その妹は日本生まれ市松人形(いちま人形)タイプの3歳女児ですが、ジジ宅に滞在するときの二人の朝食は、ボーイがパン食レシピ、いちまさんはご飯と味噌汁かジジと同じ茶がゆ希望、たら婦人の世話がたいへんです。


 ジジが開設したホームページサイトは「庭の花おりおり」のほか、同じ時期に姉妹サイトとして「時事折々」と題するホームページサイトも開設しましたが、こちらはトラックバック機能がないブログというようなもので、主としてサイト内「あれこれ・あるがままに」のコーナーで今回のようなジャンル無し雑文を更新しています。
 なお、ジジとたら婦人は、娘夫婦の長男出生時にお産の世話で約3週間ピッツバーグの娘夫婦宅に滞在しましたが、現地から親戚・知人に実況案内するためこの間の毎日の出来事を「ピッツバーグ紀行記」というホームページサイトにして公開しました。


 ジジがアナログカメラからいわゆるデジカメに切り替えたのは20年前くらいのことであり、パソコン内にデジカメ写真を保存し、家族画像等のフォルダにして整理を始めたのは平成5年からです。
 また、パソコンの利用については、娘夫婦が渡米した平成16年から、主として娘夫婦との通信手段のためメール送受信やテレビ電話ソフトを使うようになり、その延長で上記のように平成17年にはホームページ作成まで進んだ次第です。ワープロソフトとインターネット以外のパソコン利用は必要に迫られた、まさに六十の手習いでした。
 なお、ピッツバーグとのテレビ電話交信は当時「iVisit:アイ・ビジット」というソフトを利用していましたが、現在「Skype:スカイプ」を利用しています。このようなテレビ電話ソフトは家族が外国に滞在しているような場合、料金を考えなくてもよく大変便利でお勧めです。


 ジジにとっては、デジカメやパソコンに親しんだお陰で、アナログオンリーではなく、デジタル機器にも少しはついて行けるようになりました。また、インターネット世界の面白さにもすっかり嵌ってしまい、漬け物上手のたら婦人からは「暇があったらパソコン漬けなのね!」と嫌みを言われますが。仕事上にも大いに役立つことになりました。


 ところで、昨今のインターネットやデジタル社会の進化はすさまじいものがあります。ジジは今なんとか「スマホ」までは触っていますが、もはや年寄りの足にはこの分野の進化のスピードにはとてもついて行けない気がしています。
 それにつけても、12歳・6歳・6歳の孫がアイパッドで遊び、そして3歳の孫までがゲームに参加している、そのような光景を見ると、この子供らが将来どのような感受性で育っていくのか?・・・テレビのない子供時代を送った昔人間のジジは、我が子らがテレビ放送に熱中しているのを見て影響を心配しましたが、今では、インターネット社会が孫らへの成長に悪い影響が出ないのか?たいへん心配です。このような心配は杞憂なのでしょうか?
 ジジなどはおよそ700年前の徒然草、1000年も前の「春はあけぼの」の心に触れたとき、「時は経っても時代は変わっても人の感性は変わらんのやな!」と感慨が湧くのですが、これからずっと先の人はどうなのでしょうか。人の形は変わらないでしょうが、今の時代と同じような感性を備える「人」として存在し続けるのでしょうか?心配です。