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あれこれ・あるがままに(第34回)    平成23年4月4日

  
想 定 外 の 想 定
 
 
 平成23年3月11日に発生した、この度の東日本大震災は太平洋プレート付近で発生した海洋プレート境界型の地震である。地震の大きさを示すマグニチュードは9.0で、最大震度は「宮城県 栗原市」で「震度7」を観測、有史以来最大規模で想定外の地震であったという。


 この海洋プレート境界型の地震は、紀伊半島沖でも過去南海トラフでのいわゆる東南海地震、南海地震が起こっており、また、東海地震を加えた三つの地震が同時発生した場合を想定した超巨大地震の東海・南海・東南海連動型地震が危惧されているが、この巨大地震は約90ー150年の間隔で発生しているという。前回の昭和東南海地震(1944年)および昭和南海地震(1946年)から約65年経つことから、近年、「いつ起こってもおかしくない」とか、「30年以内では60%、50年以内では90%の確率で発生する」とか言われている状況である。更に和歌山では中央構造線の直下型地震の心配もある。


 このような状況であるから、和歌山市においては地震と津波対策が重要課題であり、住民も大きなに関心がある問題である。よって、いずれ命にかかわる災害が起きるかも知れないと意識しているのであるが、しかし、心配しても始まらないというようなことで、どちらかというと余所事(よそごと)のような関心しかないのが実情である。実際、この度の東日本大震災においては和歌山市でも大津波警報が出たが、避難者は僅かであったという。


 東日本大震災の直後に発生した原発事故については、東京電力は発生当初「想定外の事態」と繰り返した。しかし、その後、事態はますます深刻化し、最近の報道では東電や政府の事故直後の対応や、そもそも原発計画自体にも天災と片付けられない面があるのではないか、と指摘される事態となっている。
 過去に紀伊半島沿岸部において日高原発と日置川原発の計画が持ち上がったことがあるが、当時は原発反対ということで住民意識が高く計画が中止になった経過がある。しかし、現在では、和歌山は原発立地の福井県から距離的に遠いということで関心がほとんどなく、事業者と国が唱える「安全神話」を無批判に受け入れているように思われる。


 さて、ジジは和歌山市内の和歌川沿いに住んでいるのであるが、この地もこの度の東日本大震災と同様に地震、津波、原発という複合災害の危険があることに気づいた。この地の住民は、海岸に近く川沿いであるので地震・津波のことは心配をしているが、原子炉事故の危険性は県内に原発がないことからあまり意識していない。しかし、ジジは連日の福島原発事故の報道を目にし、熊取町にある京都大学原子炉実験所研究用原子炉のことが気になった。多くの和歌山市住民は同原子炉のことを知る人が少ないのであまり意識していないが、和歌山市は同原子炉から30キロ圏内である。

 
 熊取町のホームページを見ると、福島原発事故を受け、原子炉の安全性について京都大学原子炉研究所と連名で要旨次のような広報がなされている。
 『発電用原子炉とは構造も違い使用する核燃料の量も少ない。立地上津波のおそれがない(標高は約60m)。平成22年12月に実施された文部科学省及び原子力安全委員会の安全審議において中央構造線断層帯などの断層の活動によって地震(震度6程度)が起きたとしても安全性は確保されると評価されている。なお、平成23年5月26日まで定期検査中で運転を行っておりません。このようなことから安全性は確保されていると考えています。
 しかしながら、今回の原発事故の報道状況を見聞きするにつけ、「想定外」の事態が起こらないか心配である


 それにしても、人は、今回のような未曾有の事態について災害当事者に対しどのような言葉を懸けられるのであろうか?
 昨日(4月3日)の朝日新聞天声人語蘭の記事で、作家の『あさのあつこ』さんが寄せたという次の一文が引用されていた。テレビ報道の取り上げ方を少しく気になっていたジジの考え方を代弁する一文であったので、孫引きした。 
 『当事者と非当事者との間にある越えがたい深淵。そこに懸けうる言葉を持ちうるのか。(3.11を)ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはならない。』


 おわりに、たら婦人の想定外の心配のこと。
 たら婦人曰く『今回の地震と津波は想定外ということは理解ができるが、原発事故の出来事は私の頭の中では想定外の理解外のこと。仮に地震と津波の想定外の割合がもっと大きく、原発が建物ごと海に流されていたらどうなっていたの?」
 ジジ「ん!想定外の問いやな!」
 たら婦人の問いの答えにはならないが、原子力という自己増殖をする分野は人の手出しができない神が司る所管事項ではないのか、それでも神ならぬ人の幸せにとって原子力・原子炉の利用が必要であるというのであれば、それは医療面だけということでお許しをいただくべきべきことでないのか、人の所管事項としては器に入れて管理ができる液体、気体、そして電気までに止めるべきではないのか、原子力・原子炉の利用は医療面での利用に限定すべきではないのか、と思うのである。


 紀伊半島でも想定外の出来事が起こるのではないか。もう手遅れかもしれないが、覚悟を決め、出来る限りの備えを整えてカウントダウンを待つしかなさそうだ……。ジジとたら婦人が高野の地へ旅だってからのことと願うが、孫子と地球生命のことも心配だ。


 どの分野でも、専門家であれば想定内のことで云々しているのはままごとであり、想定外の想定ができないのは専門家ではない!!