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あれこれ・あるがままに(第159回)    令和3年9月25日
                          
  
思い出いろいろ(備忘録)



 この年になると「思い出」もいろいろ様々、重なりすぎて思い出せないくらい。「甘酸っぱい思い出」、「忘れられない思い出」、「懐かしい思い出」、「大切な思い出」、「素敵な思い出」、そして、「苦い思い出」等。「~の思い出」の「~」部分にワードを入れれば思い出は尽きることなし。この先、「コロナ」というワードが思い出に加わるのであろう。
 最近(といっても、今年初め頃のことであるが)、ジジも「思い出」を意識する出来事があった。和歌山市人事委員会事務局から、これまでの同委員会活動を「20年のあゆみ」として冊子にまとめたいので、委員長在任時の「思い出」を1500字程度にまとめて寄稿してほしい、との依頼があった。ジジは、同委員会の発足間もない平成14年から同22年にかけて同委員会委員長として関与したのであるが、いい思い出がたくさん。

 今回、依頼に応じ準備した当初の準備原稿を当コラムに掲載する。書き始めると、あれも思い出これも思い出、面白くなり、準備原稿は求められた字数を大幅に超えてしまったが、事務局に提出した原稿は要望のあった字数にあわせ大幅に縮小した。
 今回のコラム掲載原稿は縮小前の準備原稿であり、原稿の中身は委員会活動の本筋ではなく、ジジ個人の行状というようなものばかりであって、公開しても差し支えがないと思う内容ばかりである。なお、寄稿時、せっかくの作文であるから、将来自身が運営しているホームページに転載したい旨事務局に一応声をかけておいた。

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                人事委員会委員長在任時の思い出

1 委員長就任
 私が和歌山市人事委員会(以下、「当委員会」という)委員に就任したのは平成14年6月、和歌山弁護士会長退任から3年後のこと、就任時59歳、以来2期8年務めた。
 人事委員会の設置は都道府県や政令市は必要的機関であるが、和歌山市のような中核市は任意的設置期間である。当時、中核市は全国で約60あまり、和歌山市は熊本市(同市は現在政令市)に次いで全国2番目に人事委員会が設置されたのであるが、その背景は職員採用不祥事問題が大きな契機であった。
 私が当委員会委員長に就任したのは、制度発足四年目のことであり、市民や職員の間において、未だ人事委員会制度の定着と発展が期待されているという段階であったように思う。
 私は、当時、本業のほか、和歌山市では外郭団体二つの財団法人理事や監事、和歌山県の複数の行政委員会委員や会長、民間でも社会福祉法人やNPOの理事など、多数の団体に関与していた時期で交流関係が広く、また、私的生活面では夜の歓楽街交流も好み、大阪北新地に並ぶ(とまではいえないが)和歌山北の新地(アロチ)料飲街ひいき店から感謝状という話しが出るほど。このように各方面で活発に活動していた時期であった。
 さあたいへんだ!地公法では人事委員会委員は、「人格高潔で、地方自治の本旨に理解があり、人事行政に識見を有する者のうちから、議会の同意を得て選任する」とある。そして、当委員会設置の背景からすれば、「公正・公平・透明」な職員採用事務を行うことが重要職責であり、また中核市で全国2番目の設置ということの注目度もあった。委員長就任は身の引き締まる思いであった。
 私は、この時期の委員長職務においては、人事委員会制度に対する市民や職員の更なる信頼を確保し、制度の定着と安定的継続に資する運営が大事であると考えた。そのためには、何よりも職員の任用事務の「公正性」「公平性」「透明性」のある運営である。
 まず私の日頃の行いを自省することである。私は、自身の外から見える行動パタンを変えることとした。まず、アロチ料飲街の感謝状受取資格を自主返上し、とくに採用事務の期間中は飲食店で他人と同席しないということを徹底することとした。そして、職務遂行においては、「公正性」「公平性」「透明性」をモットーとし、新任職員の着任時や外部面接官との挨拶の際など、折に触れ、この言葉を口に出すこととした。
 振り返るに、重厚さと格調は少し不足したが、一応委員長職の任期を全うできた。なお、うれしい副反応として、飲食過多の悪弊が改善され、就任期間分だけ余命が先送りされたように思える期間であった。よき思い出!!

2 議会出席
 これは得がたい経験。人事委員会委員長は年に4回開催される定例市議会と臨時議会(年間合計約25日)に出席し、職員に適用される条例等の議題について意見を述べることになっている。
 議場正面執行部側上段右端の席であったが、そこから国会中継で目にする棒読みの質問答弁に付き合うのである。学芸会のようなやりとりが多いが、居眠りは許されない。

3 園遊会招待・首相と桜を見る会招待
 この二つの出来事は夫婦単位での招待であり、自弁の旅費宿泊や夫人の装束費用が嵩んだが、夫婦共有の嬉しい思い出である。
 まず、「園遊会」であるが、平成20年10月、光栄にも幸運にも秋の園遊会に出席する機会があった。推薦は各地人事委員会の連合組織である全国人事委員会連合会(全人連)の推薦枠からであった。それにしても同枠の年間推薦人数は3人ほどという。全人連の組織は約70ほどであるから、各単位人事委員会に回ってくるのは計算上20年あまりに1回となる。どのような経過で私の委員長在任中に推薦順番が回ってきたのか知らないが、たいへんにラッキーな思い出!!
 次に「首相と桜を見る会」であるが、またまた幸運にも平成22年4月開催の、首相と桜を見る会に出席する機会があった。鳩山由紀夫首相のときであり、鳩山首相は当時普天間基地移設問題等で迷走気味の頃であった。今回の推薦団体は知らないが、近時のニュースを騒がした「首相推薦枠」でないことは確かである。全人連枠の園遊会出席のおまけであろう?
 同行した妻は奥様の幸夫人との間で、「首相も奥様もお体に気をつけていただいて頑張ってくださいませ。」「あら!お優しいことをおっしゃってくださるのね。ありがとう。」という楽しい会話をしたとのこと、「関西のおばちゃん」の押しであろう。10月に任期満了を迎える花道のような出来事であった。これもいい思い出。

4 全人連総会出席
 全人連の活動として、毎年春は東京、秋は全国各地人事委員会の持ち回りで、年2回全人連総会が開催されていた。
 私は、いずれの会議も皆出席、しかし、私の場合会議終了時点をもって公務離脱のお許しをいただくのが常であった。その後は毎回同行した妻とあらかじめ企画した小旅行をするためであり、妻が私の日頃の行いで溜めたガス抜き行事としていい思い出である。
5 おわりに
 人事委員会に関わったのは、私にとって、働き盛りの時期の「清く、正しく、美しく」の良き思い出ばかりである。感謝!!