時事折々トップへ あれこれ・あるがままに(第135回) 令和元年7月25日 |
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房総東海岸・銀座久兵衛 |
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<事前に準備した旅程表 ※ 梅雨期晴雨不問> 天候は予想どおりというか、初日はほとんど雨、二日目は曇りであった。なお、房総から東京へのコースは①コース。
<九十九里浜> いったい、房総半島にある「九十九里浜」の実際の距離はどのくらいであろうか?。「里」は尺貫法の長さの単位であるが、現在の一般的なメートル法との換算表では次のとおり表示されている。 1里3927.2688m)=36町/1町(≒109.09m)=60間 この換算表によれば一里は約4キロ、九十九里は約396キロにもなる。房総半島北端の犬吠埼灯台から南端の野島崎灯台まで直線距離およそ170キロくらいであろうから、「九十九里浜」の名前の由来は実際の長さに由来していないことになるが、はてさて?。 フリー百科事典『ウィキペディア』の説明に次のとおりの記載があった。 『九十九里の古名は玉浦(玉の浦)である。九十九里の地名の起源は、平安時代に源頼朝(鎌倉幕府設立前)がこの地に来て家臣に命じ太東岬から一里(当時は六町を一里とする)ごとに浜に矢を立てて測量を始めた。九十九本目で、行部岬に達したという伝承から「九十九里」と言われるようになったとの説が有力であるとされている』 上記事典の説明によると、古くは一里を現在の一般的基準である「36町」ではなく、6分の1の「6町」としていたようである(六町一里)。そこで検証してみよう。九十九里は594町(99×6)、1町の長さは約109mであるから、九十九里はおよそ65キロ(594×109m)となる。 この結果は、実際の長さにもほぼ符合し、よって、「九十九里浜」は長さに由来すると考えても矛盾しない。めでたしめでたし!! さて、九十九里浜は、房総半島東端に千葉県道30号飯岡一宮線、愛称九十九里ビーチラインが続いているので、今回この道路を利用した。 ビーチラインはほぼ直線に約60キロも続く、特異な美しい景観であった。 計画時は、『ビーチライン』という愛称がついていたので、延々と続く砂浜海岸を見ながらのドライブになると想像していた。しかし、道路は海岸から200メートルほど内陸を通っているので、予想とは違ったが、それでも、途中から有料の「波乗り道路」に入ってから予想通りの景色になった。 残念なのは“雨”だけ!! <銀座久兵衛> 東京の有名高級寿司店“銀座久兵衛 銀座本店”、店名はやたら「銀座」が多い。ランチタイムの「にぎり 織部 7,500円を注文、但し、創業記念(1935年創業)ということで、ランチタイムはすべてのコースが2,000円引きであった。 料理はというと、鮨ネタ・ネタのこしらえ・冷たすぎず人肌温度のシャリ、そして、客あしらい・店内のしつらえ、いずれも、さすが!と評価できる。 ここでコラムを閉じれば上品なのに、ジジの勝手な物言いを一言付言。 ジジは回転寿司は性に合わないが、最近「弥一」のお持ち帰りを注文することがある。上級ネタを中心に巻き寿司一品も入れて8~10貫で2,000円ほど。これを自宅まで約15分、ビールと焼酎を家飲みしながら食するが、寿司好きのたら婦人も旨いと言う。 「銀座久兵衛」の値段が「弥一」より高いのは承知の上であるが、これを承知するのはプラスαを期待してのこと。αと期待するのは、江戸前の意気・和の粋、そして客層を含めた店の雰囲気である。しかし、ここの寿司職人の丁寧くさい言い草(それが悪いということではないとしてもベタ付く)、そして、客との会話で聞こえてくるのは、「次は海老ですが。」、皆まで言わさず「ワタシ ボイルシテ。ワタシ ココ 4カイメヨ」。見渡すと日本人客の方が遠慮勝ちのような雰囲気、勝手ながら期待したイメージと違い少し違和感を覚える。 そう言えば、そのあと銀ブラを楽しんだが、歩いている人の数は日本人の方が大幅に少ないような雰囲気!!。たら夫人が言う「今は心斎橋でも京都でもこんな状況やで!」。そうか、現下のインバウンドの大波は、島国の田舎老人の居心地などさざ波程度!!ジジの気持ちは船酔い気味!! コラム校了は7月25日、昨日梅雨明け、本格的な夏、皆様ご自愛の程!!! |