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あれこれ・あるがままに(第129回)    平成31年1月25日
                          
  
『平成31年』の正月所感
 新しい年
 この年・平成31年。5月1日に改元がある代替わりの年であり、故に平成の年号ではあと約3ヶ月を残すのみとなった。時代の大きな節目の年である。明けた正月元旦は初日の出が見られ、穏やかな日和の年明け、日の本、幸先良しの感じでスタートした。
 
 新元号ははてさて??
 ここ最近、ネットを中心に新元号の予想が盛り上がっているようであるが、新元号はどのようにして決まるのだろうか。
 元号に関しては、昭和54年6月に成立した元号法(法律第四十三号)があるが、本則は次の2項のみで選定についてはとくに定めていない。
  1 元号は、政令で定める。
  2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
 そこで、元号法が成立した同年10月、当時の大平内閣は元号法に定める元号の選定について、閣議報告として次のように具体的要領を定めた。そのうえで、「平成」の元号はこの要領により選定された由。
  1)国民の理想としてふさわしいような意味を持つもの
  2)漢字2文字であること
  3)書きやすいこと
  4)読みやすいこと
  5)これまでに元号又は「おくりな」※として用いられていないこと
  6)俗用されていないこと
  ※ 諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの   貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する
    
 さて、今次の新元号であるが、先ず、明治、大正、昭和、平成の頭文字をアルファベット表記にしたM・T・S・H以外の文字になるのは確定しているようであり、上記の要領も変更はないようである。
 
 現下、ネット上では、以上のファクターを基にそれぞれの考量と価値観により、新元号の予想が盛り上がっている。ジジがざっと目を通したところでは「安」「永」「和」などの漢字が人気のようで、ソニー生命保険が行った全国アンケートでは、上位に、平和、和平、安久、未来、自由、新生、大成、羽生、希望、安泰、安寧、太平などの候補が上がっているようである。
 中でも、「安久」の人気が高いようであるが、ジジは賛成しない。「安」も「久」も漢字としては良い字と思う。しかし、改元時の首相が「安倍」氏であること、その安倍内閣では「忖度」という言葉が否定的ニュアンスで問題になったことからすると、新元号に「安」の漢字が入るのは「安倍氏に忖度」というイメージが否定できず、今次の改元に限ってはその漢字の使用を回避するのが正解であるように思うのである。
 
 そこで、ジジは現在の「災」「争」の多い世情から考えて、次の代の元号としては、「和」という漢字の使用がふさわしいのではないかと思うのである。漢字としての意味も良く、日本の「本」、現皇太子の配偶者の旧姓小和田の一字から「和」、個人的には和歌山の「和」の字でなじんでいること等が理由である。
 そして、和を使った2文字の漢字を考えると、「和敬」という新元号が良いのではないか!!。和敬の頭文字のアルファベット表記は「W」で要件クリアー、「和敬」は予想候補には見当たらないが、「M・T・S・H・W」のつながりも良いのではないか。
 和敬という漢字を辞書で検索すると、「心をおだやかにして慎み、相手を敬うこと。茶道で重んじる精神の一つ。」とあり、茶法の極意といわれる「和敬清寂」に通じている。独りよがりの自画自賛の世界!!。

 和敬元年10月に家長在位50年 (せっかく元号予想をしたのでお試し)
 ジジが所帯を持ったのは昭和44年、時にジジ26才、以来、幾星霜の50年。この「家長」「所帯を持つ」という表現は、どちらからというと男性側からの上から目線で、その価値観は一昔前のもの。ここは、「結婚してから今年の10月で50年、金婚式を迎えます。」と、素直に表現すればよいのではないか。

 自己分析をすれば、ジジは何事につけ素直でなく、持って回った対応をして自己の価値観が前に出てしまう人、とても「やりやすい人」とは言えない難しい人なのである。少し自己弁護をすると、素直であまりやりやすいのもどうか?「丸くても一角あれや人心、あまり丸きは転びやすいぞ」(一休宗純)という名言もある。
 ジジの難しさ(と優しさ)は、50年連れ添ったたら夫人の折り紙付きである。長らくご苦労をかけてきました。反省しています。
 というような次第ですが、金婚式の記念行事の予定は未定。反省が足りない!!

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       <「たら婦人」名付けのゆえん : 週刊報道ワカヤマ №51(2006年2月10日)>
                時 事 折 々        田 中 昭 彦
 1月(平成18年)のある日、本誌編集人の藤原無我氏が時事(爺)の自宅にぶらっと顔を見せた。そのときの雑談の一節。
 「時事折々の中で奥さんのことを同居婦人とか高齢婦人とか書いてますが・・」 「ん?」 「そのような表現はどうでしょうか・・素直に〝妻〟でいいんと違いますの?」
 「うん?そうやろか。素直でないのは百も承知にしても、シャイな(と思っている)男が〝妻と共に〟などとじゃらじゃらよう書かん。面白ないし、シャレにもならん!」と、そのときはいきまいてみたが、ここはよーく考えて・・・「カモカのおっちゃん」に習ってみよう。
 小説家田辺聖子氏はそのエッセーの中で、夫のことを右のように表現し、揶揄と尊敬の入り交じった他愛なくも滋味に富んだ話を展開されている。「咬もか」は関西弁でいうところの「いっちょかもか」であり、儲け話や面白いことに横合いから一枚咬むいっちょかみ、つまり何にでも首をつっこむこと。「カモカ」はその辺からきていると思うが、氏の夫がそのような人であったのか、創作なのか、いずれにしても氏のユーモア発露の真骨頂である。
 さて、それに習って名付けたのは、恐れ多くも面白く、「たら婦人」のニックネーム。「子」は付かない。なお、この際その兼ね合いで「時事(爺)」も改称したいが、「じじ」では爺むさい気がして、以後「ジジ」とする。「たら婦人」のネーミングの所以は、彼女がジジの行動にやたら「あのときこうしといたら」「あそこはこう書いたら」「たら、たら・・」と、うるさく口出ししては批評をはさんでくることからである。
 ・・・・・(以下、略)