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あれこれ・あるがままに(第126回)    平成30年10月25日
                          
  
季節外れの桜開花

 今年、台風22号が通過した後の9月末頃ころから、あちこちで「季節外れの桜の開花」を見かける。ジジの庭でも枝垂れ桜とスモークツリーに花がついて驚いた。
 このような現象は、その年の気候の影響であることは容易に想像できる。要するに、花木は、春に花が咲き、夏に葉が茂り、秋から冬に紅葉落葉し、そして翌年また花をつけるというサイクルを辿るが、そのサイクルが「狂った」ということが原因である。今年は熱暑による樹勢の衰えに加え、台風の影響による塩害と強風で葉が吹き飛ばされたことで時季外れに葉が落ちてしまい、結果、葉で作られる休眠誘発物質(アブシジン酸)が花芽に届かず、言わばブレーキが掛からずに花芽が動き出してしまった、ということのようである。

 このような現象のことを、最近までは、「桜の狂い咲き」という表現が使われてきたが、近時、メディアでは「季節外れの桜開花」や、あるいは「桜の返り咲き」という表現をするようである。これは、メディアが差別や人権への配慮から表現の自主規制基準を策定し、「狂」という字が入った表現をできるだけ避ける傾向があるからであるが、前者の表現では味がなく、後者ではぴったしとこない。「返り咲き」という表現は、いったん失った地位に復帰するようなとき、例えば、落選議員が次の選挙で「返り咲く」というようんなときぴったしくるのである。

 メディアの表現に対するこのような自主規制は十分理由があると思うが、ある種日本語の言葉狩りにつながっている面もある。
 次の漢字や表現は自主規制用語に入るのであろうか?『狂信、熱狂、狂宴・狂歌・狂喜・狂気・狂客・狂言強盗・狂歌師・狂牛病・狂犬病・狂気の沙汰・この時計狂ってる・狂おしいほど愛してる』などなど。
 何の分野でも、自主規制はその分野の品位を保つ上で必要であるが、ジジなどは、あまり自主規制が過ぎると世の中面白さがなくなるのも否定できないと思うのである。

 自主規制で思いつくのは、高級官僚の接待と自制のなさである。
 かつて平成初め頃バブル経済期という時代、官民とも「接待」がたいへん盛んであった。高級官僚まではしゃぎすぎで、平成10年に発覚した大蔵省接待汚職事件では銀行が旧大蔵官僚の接待に東京・歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店を使っていたことがマスメディアに暴露され、話題となったことがある。そして、この事件の余波で、和歌山出身の優秀な官僚であった方が理財局国庫課長を最後に財務省を退官するということがあった。しかしながら、この方は平成21年の第45回衆議院議員総選挙の和歌山1区で初当選し、それこそ見事な「返り咲き」を果たされた。
 この場合に、「季節外れの桜開花」では同じ意味で使われている「返り咲き」「狂い咲き」であるが、後者の表現を使うと、悪意の侮辱的な意味になり明確な誤り!!。ブラックユーモアで使ったとしてもブラックの度が過ぎ、失礼千万。日本語は難しいし、面白い。
 
 最近の事例でも、今年の9月、新聞の見出しで『不適切接待、文科省が4人処分、事務次官ら2人が辞職』という記事が掲載されていた。

 人の不合理さと欲は尽きることがないが・・・・・・・・・・。