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あれこれ・あるがままに(第116回)    平成29年12月24日
                          
  
年 忘 れ ・ ど 忘 れ
<年忘れ>
 この一年もあっという間に過ぎようとしている。そこで移ろう季節と己が年を詠嘆しながら、ジジの句。
     春夏と 秋冬過ぎて 早師走
     七十四 師走に思う 明けの年
     紅顔も 見る影薄し 年の暮れ
(深みも余韻もないが)

 次の4句は、ジジと長年にわたり親交があった友人(故人)の奥さんが最近出した句集(約300句所収)から、四季の句を拾い出した。
     春の宵 来し方これで よしと思う
     来し方の 思ひ出たどる 夜半の夏
     秋深し 芭蕉の墓石 奥の院
     大寒や 一願託し 百度踏む
(句作に親しむ人の句)

 次の句は、ジジの同年代知人から最近届いた葉書の書き出し部分で引用されていた芭蕉の句。
     この秋は 何で年よる 雲に鳥
(深みあり余韻あり)

 上の芭蕉の句の意味は、『思えば多年、漂白の旅を続けて来たが、この秋はなんでこうも深く老いの衰えを感ずるのか。孤独な思いでふり仰ぐと、遠くはるかな雲間に消えて行く鳥の姿が、たまらなく寂しい。』ということだそうである。初句・二句と結句の言葉に脈絡がないのに、素人でも余韻が感じられる。芭蕉51歳の最晩年の句であるという。
 葉書を寄せてくれた同年代知人は、芭蕉の俳句の後に「・・・  でいたところ」と続き、その後の自身の心の安定が書かれていた。おそらくジジを鼓舞する気持ちを込めてくれたものと受け止められた。ありがとう。

<ど忘れ>
 先日の出勤時のこと。車を運転しながら隣家の前を通り過ぎようとしたとき、地際から細く伸び上がり落葉して茎だけになっている花木の姿がなにげなく目に入った。その瞬間「あの花の名前何やったかな?」と頭をよぎり、「うん!何やったかな?」花の形は頭に浮かんでいるのに名前が出てこない。事務所に着くまでの約15分ずっと思い出そうとしたが、出てこない。もどもどとして落ち着かない。そうなると、「高齢性のぼけと違うかな」などと、余計なことを考えてますます気色が悪い。
 その日は時々「何やったかな?」と頭をかすめたが終日思い出せずにいた。ところが、翌日の出勤時に隣家の前を通り過ぎようとしたとき、自然と「ホクシア」と口に出た。<ど忘れ>とはそのようなもので、まだ「高齢性のぼけ」ではないな!と自己診断した次第である。
 フクシア(ホクシア)という花は、アカバナ科フクシア属の花木、その花姿から貴婦人のイヤリングと呼ばれることがあるという。
 この顛末をたら婦人に話をすると、声のオクターブが少し上がり、「車の運転は気をつけないと!!、考え事しながら運転したら危ないやないの!!、年とってるんやから!!」。後の一言は余計。「年は分かってるわ!!」。そのうえで、お互い年やから運転には十分気をつけましょう、という年寄り同志のいたわりの会話。
                     

<来年へ>
 平成29年もあと数日、この1年のご訪問ありがとうございました。来年に向け何か気の利いたメッセージがないかと思い頭を巡らせていたところ、思いつきかけたのですが、その言葉をど忘れ!!
 とまれ、気力、体のパーツのいろいろな退化を自覚しながらではありますが、新年もコラム掲載を続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。それでは皆様よいお年を!♨♨♫♫。