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あれこれ・あるがままに(第111回)    平成29年7月17日
                          
  
光 輝 高 齢 者 の 独 り 言


 
光輝高齢者の独り言

自己紹介 趣味と病気を 一つずつ
これだいじ あれも大事と ごみの山
改札を 通れずよく見りゃ 診察券
数時間 待っての病名 加齢です
ボランティア するもされるも 高齢者
クラス会 食後は薬の 説明会
目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ
延命は 不要と書いて 医者通い
飲み代が 酒から薬に 変わる歳
中身より 字の大きさで 選ぶ本
深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
日帰りで 行ってみたいな 天国へ
起きたけど 寝るまで特に 用もなし
未だ生きる つもりで並ぶ 宝くじ
目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
お若いと 言われて帽子を 脱ぎそびれ

 
 上の川柳を読んだご感想はいかがですか?この川柳を目にされているあなたは今おいくつですか?・・・。この川柳をよく味わえるのは、還暦を過ぎていわゆる前期高齢者あたりからであろうと思います。ジジとたら婦人はこれを読んだとたん、思わず二人とも “分かる!よく分かる!” という言葉が出ました。あなたはどうですか?・・・ “分からない?” と言うあなた、未だ未だお年がお若いのですね!・・・そのあなたも、いつか通る道とお考えのうえ味わったらどうでしょう。

 実は、この「あれこれ・あるがままに」コーナーで公開してきた雑文を平成20年に「花鳥風月を友 酒を友」という表題で一冊の本にしたが、現在、その第二巻発刊の準備作業中である。そして、欲張って「庭の花おりおり」の写真集もカラー刷りで発刊したいと思っているのであるが、その作業の中で度々発行人藤原無我氏とメールの送/受信があり、6月末の受信メールには次のとおり記載されていた。
 『田中先生へ  再直ししました! あと、うちの親父のポッケにしのばせていた〝戯言〟送っときます(^_-) 藤原』
 そのメールに添付されていたのが冒頭のメモの写真である。標題も一句一句の句も上作と言おうか、おかしみ・かなしみの表れお見事と言おうか。早速、藤原氏にお父上の転載了解をお願いし、このコーナーでの公開となった次第である。この「光輝高齢者」という標題は、「後期高齢者」の身として自嘲的なのか自虐的なのか、その何れもぴったしではない、言い得て妙、絶妙の言い換えではなかろうか!!作者のセンスに拍手を贈りたい。

 ところで、「後期高齢者」の用語は、平成20年施行の高齢者の医療の確保に関する法律に由来する。この後期高齢者医療制度は、増え続ける老人の医療費をどう賄うかとの議論から出発し、75歳以上の高齢者を国民健康保険制度から切り離した別枠の医療保険制度として発足させた法律であり、用語はその法律中の表現である。
 法律施行当初から制度自体「高齢者を尊重」する視点に欠けるのではないか、すなわち、日本では、 古来より、古稀、喜寿、傘寿、米寿、白寿 等々高齢者を尊重する美風があるのに、この制度は現役世代の負担増に目が行きすぎ、切り離されるお年寄りへの目配りが薄いということで不評であった。更に、「後期高齢者」という用語の問題である。「後期」というと、もう後がない者という意味を連想させ、高齢者の自尊心を損なうということでも不評であった。

 わが国の国民健康保険制度は世界に誇る国民皆保険の制度であり、「国保」として定着、国民の福祉に大きな役割を果たしている。国民の側も国保制度を支持し、税金や国民年金の支払より国保料の支払の方が大事と考え滞納を避ける傾向があるように思う。下衆な言い方になるが、ジジなどは長年にわたり国保料の最高額を負担し続けてきたが、何の挨拶もお礼もなく、来年は国保からお払い箱になるという。
 しかし、後期高齢者になったから個人の保険料の負担が大きく軽減されるということではなく、要は老人の医療費負担による財政負担をどうするかという上の方の問題だけであり(ここを解説できないのがジジの知識不足)、下々にとっては老人医療無料化が老人尊重の保険制度としてベストな優しさなのである。
 ところが、後期高齢者医療制度が発足した背景にあるのは、昭和48年に採択された老人医療費の無料化により、「待合室サロン化」、「ハシゴ受診」、「乱診乱療」が問題視されたことが発端であるという。高齢者の側の自業自得なのか!!しかし、75歳になるまで真面目に国保料を納付してきた者に対してはこの非難はあたらないであろう。

 ジジは、後期高齢者医療制度の背景や高齢者の医療費負担の問題点も理解できる。大方の国民もそうであろう。しかし、不評の大元の問題は、75歳超の高齢者を国保から切り離すという仕組みへの移行とネーミングの問題であるように思う。
 大元の問題について、政府は、「後期高齢者」というネーミングが気に入らないのであれば、「長寿者保険制度」と受け止めてくれたらよいなどと説明するが、この言い方では上から目線であり、75歳まで国保料を払い続け「病気になっても国保に入っている」という一種の安心感を持っていた国保制度の支持者=国民の理解は得らないと思う。ここは、国民健康保険制度の枠内で処理すべきではないのか。
 現に、65歳から74歳までの被保険者(国保加入者)は「前期高齢者」として、64歳までの被保険者と区別はするが、国保制度の枠内で医療費負担の不均衡に対応する仕組みになっているという。「後期高齢者」についてもそのような工夫ができないのか?

 一つの提案は、国保の被保険者を次のように三分類し、被保険者側についてはそれぞれの分類に応じた国保料の設定をし、保険者側の医療費負担の不均衡はそれぞれの分類に応じた調整をするという案である。
 第1分類 0歳~64歳  「甲分類」という用語を用いる (現役世代)
 第2分類 65歳~74歳 「乙分類」という用語を用いる (いわゆる前期高齢者)
 第3分類 75歳以上   「丙分類」という用語を用いる (いわゆる後期高齢者)

 これにより、被保険者=国民に対する説明は、「あなたは国保甲分類ですから・・、国保乙分類ですから・・、国保丙分類ですから・・」となり、前記の不評の大元の用語の問題も解消されるのではないかと考えるのである。「あなたは後期高齢者ですから」と言われるより、「あなたは国保丙分類ですから」と言われる方が、同じ国保への所属感があり差別感も少なく受け入れやすいのではないか。
 問題は、このような分類をしても現行後期高齢者医療保険制度の仕組みを国保制度の中に取り込めるのかどうかであるが、お手上げ!!そこまでは分からない。

 おわりにジジの一句。      「後期」嫌(いや) 「光輝」言い過ぎ 生きた道