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あれこれ・あるがままに(第106回)    平成29年2月25日
                          
  
2 月 の 季 節

 2月に入ると、とても寒い庭で枝垂れ梅の蕾が膨らんでいるのが見えるが、この時期毎年次の俳句が頭に浮かぶ。
 『 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 』
 (作者は松尾芭蕉門下の俳諧師服部嵐雪)
   
 この句を五七五調で読むと、(うめいちりん いちりんほどの あたたかさ)であり、作者が詠んだ読み方であろう。その意味は、(ふと庭の梅の木を見ると花が一輪、まだ冬の寒さだけれども、梅の花を見てほんの少し暖かさが感じられろような気がする。)という解釈ができる。おそらく紅梅であろう、春の訪れもま近いという嬉しさが伝わる句である。
 読み方を“梅”で切ると、(うめ いちりんいちりんほどの あたたかさ)となる。このように「一輪一輪ほどの・・」と続けて読むと、(一輪つづ開くに連れて次第に暖かさを増してくる)という解釈ができ、春の足音に心躍らせる様子が感じられる句となる。

 今年の節分は2月3日(旧暦1月7日)、節分の翌2月4日は立春である。ジジは今年数えの75歳、4月で満74歳になるが、この1年を大過74(なし)で過ごしたいもの。
 さて、節分というのは、二十四節気という季節の指標を取り入れた暦の季節区分(節気)の境目の日のことであり、春夏秋冬の季節の変わり目に年4回の節分がある。中でも、冬から春へ移る“節分”は翌日から立春として新しい年間季節サイクルに入ることもあり、来たるべき新年サイクルの幸福を願い邪気を払う行事として“豆まき”が始まり、単に節分というと立春の前の日の節分を指すようになった。ちなみに節分で年を越すので、節分のことを「年越し」ともいう。

 ところで、節分は陰暦(旧暦)由来の行事であると思いがちであるが、そうではない。陰暦は月の満ち欠け(一巡りは29.5日)を基礎とするので、これを1ヶ月とすると1年12ヶ月は354日となり、地球と太陽の位置関係を基礎とする1年12ヶ月365日の太陽暦とズレが生じてくる。よって、このズレを調整するため陰暦では閏月を置くなどして調整しているが、どうしても季節と月日にずれがあり、年によってはひと月ぐらいずれるので、季節の目安になりにくいという不都合がある。そこで、古代中国で二十四節気という季節の指標を取り入れた暦が考案されたとのだそうな。
 なお、陰暦の旧正月と二十四節気の正月(立春)が重なる年があるが、次に来るのは2038年であるとのこと。
 現在でも、二十四節気の暦は、放送などの慣用的表現で『今日2月18日は暦の上では二十四節気の一つ「雨水」です。雪が雨に変わり、雪や氷は溶けて水となる頃とされていますが、今日一日は寒い日となりそうです。』などと使われ、よく耳にする。

 節分(年越し)の日に邪気を払うため豆をまき、豆(福豆)を食べるという風習がある。そこで、いただく豆の数はいくつか。「年の数」だけとも「年の数プラス1個」ともいわれるが、定説はないようである。
 考えるに、豆の数は節分の日に数えるのであるから、その日はまだ年を越す前日であり、今の年の数(ジジ数え74歳)にプラス1個すると新年の「年の数」の75個になり、新年の年(ジジ75歳)の福を願うという意味になる。
 他方、節分の日(2/3)は旧暦正月(1/1)を過ぎているので、節分の日の数え年は既に1歳進んだ年(ジジ75歳)になっているので、プラス1個すると76個となり、その次の年の福も併せて願うという意味になる。
 たら婦人は一つ違いは大違いということで豆の数は前者派、ジジは後者派である。どっちでもいいが、ジジは後者派につき今年豆まきの後76個の豆を半紙に取り分けたが、その量の多さにゲンナリ。とても年の数だけの福はいただけない。

 やがて梅の花は満開を迎え、三寒四温といわれる余寒の季節がしばらく・・。のはずが、今年は余寒どころか、2月10日から極寒の最強寒気到来、温暖な和歌山の地にも降雪があり、凍える寒さ。雪国では“記録的な大雪情報”が続いた。

 2月10日、知人から“よもぎもち”がたくさん届いた。よもぎ餅を見ると、子供のおひな祭りで段飾りに紅・白・綠(よもぎ餅)の三段重ね菱餅を飾ったのを思い出す。

 東大寺二月堂の修二会(お水取り)は2月20日からの前行で始まり、3月1日から2週間にわたり本行が行われる。お松明は、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして期間中毎日灯されるが、最後の日の籠松明が有名。

 この時期、ジジが気になるのはイカナゴ新子漁の解禁日のこと、毎年2月末から3月初めの大安の日が多い。最近、試験操業日が2月28日に決定したというニュースを目にした。解禁日決定のニュースを心待ち。