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          あれこれ・あるがままに(第6回) 平成20年2月1日
                

       熊野古道(「とがの木茶屋」で飲んだ缶ビール
                  
 
 熊野古道行きの計画
 渡瀬温泉「ホテルささゆり」から、「1泊2食お一人様無料ご招待」という内容の「上得意様特別御招待状」という案内が届いた。この案内になったのは、前に顧問先から貰っていた6人分の無料招待状を、最近たら婦人がお友達と連れだって一度に全部消費するということがあったからであろう。無料の「上得意様」で恐縮であるが、この招待状も早速利用することとし、去る1月26日の土曜日に夫婦で一泊することにした(同ホテルは殊の外たら婦人お気に入りの宿なのである)。しかし、泊まるだけではもったいない。そこで、世界遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち最も頻繁に使われたルートである「熊野参詣道中辺路地域」と国道311号沿線の景観を視察し、この機会に古道も少し歩くことにした。
(実は、ジジは昨年6月に設置された「和歌山県景観条例等検討委員会」の委員13名のうちの1人である。これまで5回の委員会開催により条例案の検討がなされてきたが、次回は具体的な景観計画の検討が予定されている)

 交通は、ジジのジャガーではなく、たら婦人のマイカーで同婦人に運転してもらう予定(ジジは中食時の一杯のビールが無上の楽しみにつき近場のお出かけは婦人の運転に命を預けることにしている)、阪和自動車道海南インターから昨年11月に供用開始になった終点の田辺インターで降り、国道42号線の朝来から国道311号線で田辺市中辺路町経由のコースである。
 当日の計画は、午前9時過ぎ出発、田辺インター午前10時半頃、栗須川の道の駅「牛馬童子ふれあいパーキング」に午前11時頃到着、マイカーをそこに駐車、龍神バス牛馬童子口午前11時26分発に乗車し、11時40分野中の清水バス停で降車、その辺りで中食、その後熊野古道を歩き、近露王子、箸折坂、牛馬童子を経て道の駅駐車場に戻るという予定である。食事処については、野中の清水付近に「とがの木茶屋」があることは前から知っていたし、また事前にインターネットで「のなか山荘」「いっぽう杉」(食堂)があることを調べた。そこで、前日の夕方予約をしておこうと思い、まず「とがの木茶屋」に電話をしたところ「あした出かけちゃーるんでできやんよ」、次に「のなか山荘」は「予約は5人からしかお受けできません」、そして「いっぽう杉」は電話が出ないという状況。「えい、ままよ!道の駅で情報を入れよう」ということで出発した。

 道中のトラブル
 田辺インターまでは予定通りであったが、国道42号線に出る少し手前でカーナビが左折指示、おかしいな?と思ったが、一瞬国道42号線に繋ぐバイパスでもできたのかな?と思い、たら婦人にカーナビ通りの左折を指示した。しかし、少し行ってからこの道は国道42号線を経由しないで国道311号線に行く道だと考え、たら婦人にUターンを指示した。これが間違い。そこからぐるぐると回ったものの国道42号線に出られず、結局カーナビの案内通り行くことにした。このトラブルで20〜30分のロスタイム、このためカーナビが表示する道の駅到着予測時刻が乗車予定のバス発車時刻の少し後になってしまい、その後せからしいドライブとなってしまった。ここで、たら婦人「初めからカーナビの案内通り行っといたら良かったのに!」ときつーいたら。

 バスで移動
 トラブルはあったが、11時20分に道の駅到着、直ぐに牛馬童子口11時26分発のバスに乗車した。このバス路線は、栗須川始発で近露からは狭く曲がりくねった旧国道に入り、野中の清水を経由、高尾隧道が終点、本宮までは行かないミニ路線である。この旧国道に入る路線は田辺始発分も含め一日3回しか運行していないようである。
 とにもかくにもバスに乗り込んだところ、乗っていた乗客は老婦人一人、野中の清水バス停まで一人780円と少し高め。先客は途中で降り、更に行って一人の老婦人が乗車してきた。運転手と老婆の会話、
  「どちらまで行かれますか?」
  「○○さんとこ」
  「△△のバス停ですね」
 なんと優しくうれしいやり取りであろうか。それにしても車窓からは人家が見えても人が見あたらない。運転手はバス停「野中の清水」少し手前の井戸の側で一時停止し、バスの中から清水がわき出でている様子などを案内してくれた。そこで、ジジと運転手の会話、
  「この辺りで食事ができるところはありますか?」
  「この上にとがの木茶屋がありますが、今日は料理人がいるかどうか分かりません」
  「食堂のいっぽう杉は?」
  「ここから約20分ほど下った国道のところですが、今日やっているかどうか  分かりません」
 バスを降りて上を見ると、写真で見覚えのある「とがの木茶屋」が見える。前日の電話で食事ができないことは分かっていたが、たら婦人が「のど飴」なら持っていると言うので、「とがの木茶屋」で何も食べられなくても飴をなめれば1時間半くらいの古道歩きは持つであろうという考えで、とりあえず急な坂を上る。
 そこに現れた「とがの木茶屋」は、なんと風情のあるたたずまいであろうか。
写真1写真2写真3写真4
 
 「とがの木茶屋」で飲んだ缶ビール
 ここから本稿副題のいきさつに入る。
 写真のように、「とがの木茶屋」は本屋の座敷縁側の戸障子は開けっ放しになっている。しかし、人の気配がない。困った。ん!テレビの音が聞こえるではないか。「お声をおかけ下さい」の貼り紙が目についた。そこで、入り口から入り、障子越しに「ごめん!こんにちは」と声をかけたところ、中から「はい」と応答があったので障子を開けた。6畳ほどの居間があり、ホームこたつの横に斜めに倒した安楽椅子の上で、主であろう70過ぎの老男性が身を起こそうとして上体を前後にひょこひょこさせているのが目に入った。そして、ようやく起き上がってきたので、
  「なにか食べるものありますか?」
  「あるよ。団子とコーヒぐらいやったら」
  「ああ良かった!それ二人分お願いします。団子は半殺しやったかな?」
  「そう、そう、古代米入りの半殺しよ」
  (半殺しとはきれいな餅になるまで十分につかずに米粒が残っている状態の餅)
 しばらくして、老主が長方形の木製お盆に木の葉型のおてしょ(御手塩)に盛った団子とコーヒをのせて出してきた。団子の大きさは500円硬貨より少し大きめ、小指ほどの厚さのもの3個が竹串に刺され、上にこした小豆あんがかけられていた。
  「ビールありますか?」
  「ないんよ」
 ジジは、・・この山中ではしゃーない・・とあきらめ。・・ちょっとして、老主が顔を出し、
  「売りものちゃうけど、缶ビールやったらあるよ」
  「うれしよー」
 やがてお盆の上に一缶の缶ビール「ASAHI本生」が置かれた。ジジこれを一口飲み、老主に向かって、
  「旨いわー」
  「そうよなー、わたしも晩に1本飲むの楽しみよ」
 この状況下で貴重な缶ビールの一缶。本当に旨かったー。ジジがこれまでに飲んだ「旨かったビール100選」の一つに入るであろう。ビールは出たが、団子一皿では余りにも量が少なく、遠慮がちにもう一皿をお願いした。その団子はジジが食し、上のあんはジジ糖尿持ちにつき、たら婦人が口に入れた。
 それにしても、ジジは中食にも夕食にもこだわる方であり、あげくが金持ちでなく糖尿持ちである。この日の中食はこの何十年のうちで、内容的には経験したことがない「貧相な一食」であったが、その反面「嬉しい貴重な一食」であった。
 たら婦人、老主にお愛想か、前景に広がる落葉した木々を見ながら、
  「あれは銀杏の木ですね。紅葉のときもきれいでしょうね」
  「そう、美しよ。昨日までは前のモミジが真っ白けで美しかったんよ」
  「ああ、雪が降ったんですね」
  「牛馬童子へはあっちへ行ったらええんやね」
  「そうよ。近露で里に下りて、そこから上がって行くんよ。滑らんように気いてけて行きよしよ」
 (前日の予約の電話の応対は今日接待してくれた老主であったと思われるが、「出かけちゃーる」のは、恐らく料理担当の奥さんのことであったのであろう。)
 
 古道歩き
 「とがの木茶屋」から熊野参詣とは反対方向の西方へ向け歩き始めた。牛馬童子口から野中の清水までバスで移動した分、今度は古道を歩いて戻るのである。熊野へ向かうというのではないことから「参詣道を歩く」ではなく、単に「古道を歩く」とした。12時半過ぎに出発したが、寒い!そして大変冷たーい。

 近露王子へ
 出発して直ぐに継桜王子、少し行って比曽原王子を過ぎて山道に分け入る。早速、出た!現在の装束をまとった女性の「妖怪」が現れたのである。千年前の高貴な方であろうか、はたまた黄泉の国からの使いの方なのか?。その後も妖怪を伴侶として下っていくと、「乙女の寝顔」という標識があったので、その向こうの山を見ると何やらそれらしき形の山が見えた。「果無山」というそうな。近露の里まで下って目を引いたのが山里の水車、たら婦人から写真を撮るように指示がある。ここまで約1時間。

 牛馬童子へ
 近露の里を歩いて、近露王子を経て牛馬童子へ向かう。途中の休憩所からはのどかな近露の里が眺望できるが、その先は再び険しい山道に分け入っていくコースで箸折峠へ続く。そして、急峻な山道を先ほどの妖怪に励まされながら歩き、ようやく有名な「牛馬童子像」面会できたのである。
 そこから味わいのある古道をしばらく下ると出発点の道の駅「牛馬童子ふれあいパーキング」が見えてきた。近露からここまで約1時間。今回の終点である。
 
 蟻の熊野詣
 熊野三山(本宮・新宮・那智)を目指す熊野詣は、中世平安の頃、いわゆる「蟻の熊野詣」と例えられるほど上下貴賤男女を問わず大勢の人々が訪れたそうであり、現在また世界遺産に登録されて注目されている。しかし、今回の古道歩きは真冬であったこともあるが、約2時間の古道歩きで出会ったのは一人歩きの若い女性だけであった。その女性と出会ったのは比曽原王子から続く山道を抜け人里が近づいた辺りであったが、どのようなことから一人歩きになったのか?きれいな顔立ちであったが、ハイキングで出会った時のような「こんにちはー」という軽い雰囲気はなく、少しの会釈だけで表情も硬かったように思う。たら婦人は、ここからあの山道をひとりで行くのだろうか?と心配したのであった。
 直ぐ後、人家の前を通り過ぎるとき老婆が家の前の流し水で白菜を洗っていた。「こんにちはー」「こんにちはー」と挨拶の交換をして通り過ぎた。少し歩いたとき後方から呼びかける声がする。立ち止まって振り向くと、体一杯の身振りで「道を間違えている。左の下の方へ下るのだ」と教えてくれているのである。そこは間違えやすいところなのか?通り過ぎてからも見ていてくれたのであろう。

 道の駅でお土産購入
 その日は渡瀬温泉で予定通り宿泊し温泉を楽しむ。ここの湯は良い。翌日の帰り、前日に駐車場として使用した道の駅で休憩し、お礼代わりに売店を利用。お土産用にサンマ姿寿司(たら婦人は「この間お友達と来たときも買ったが、みんな美味しかったと言っていた」と言いいながら、お友達用に10本購入)、孫にお米のポン菓子、粟よもぎ餅等、また、自家消費用に湯がいたゴンパチ(イタドリ、別名スカンポ)、切り干し大根の昆布漬けを購入した。全ての商品は不安のない近隣産の無添加産品であるという。


写真1

写真2

写真3

写真4

継桜王子

比曽原王子

山道に分け入る

妖怪

乙女の寝顔

果無山

山里の水車

近露王子

牛馬童子へ

休憩所

険しい山道

牛馬童子

牛馬童子

古道

道の駅

終点(出発点)