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あれこれ・あるがままに(第18回)    平成21年12月26日

  
年 々 歳 々
 
  
 年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず

 年年と我が身の年を重ねたせいか、年末になるとこの一節を思い出します。
 これは、唐の劉廷芝が作った「白頭を悲しむ翁に代る」という長い詩のなかにあり、一般的には「毎年美しい花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年変わっていくのだ」という意味に理解されています。

 我が家の庭の花々も、毎年美しい花を咲かせますが、「毎年毎年同じように」というようにはいきません。庭の花を毎年「美しく」咲かせるには日頃の手入れが必要ですが、年をとるとなかなか思うようにはいきません。姉妹サイトの「庭の花おりおり」に掲載している花の種類も数も年年少なくなってきています。

 しかし、庭の花は手入れをすればまた同じように美しい花を咲かせますが、それを見る人は年年同じというわけにはいきません。詩の一節は、自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて人生の無常を詠歎した句ですが、ジジも白頭翁の気持がよく理解できる齢(よわい)になりました。

 ここまで書いていったん筆を置き(パソコンのマウス操作をして)、インターネットでこの詩の情報を検索したところ、あるホームページに行き当たりました。それは、「私は今数え年で90才です。]という書き出しで始まるSAFUROというサイトです。翁の博識!バイタリティー!に驚きました。
 詩については、同サイトの「MENU4・文学12」のコーナーで「年年歳歳花相似たり」と題して解説されています。

 さて、今年の「あれこれ・あるがままに」はこれでお仕舞い。来年に続く。


  白頭吟 (代悲白頭翁)
洛陽城東桃李花,
飛來飛去落誰家。
洛陽女兒惜顏色,
行逢落花長歎息。
今年花落顏色改,
明年花開復誰在。
已見松柏摧爲薪,
更聞桑田變成海。
古人無復洛城東,
今人還對落花風。
年年歳歳花相似,
歳歳年年人不同。


寄言全盛紅顏子,
應憐半死白頭翁。
此翁白頭眞可憐,
伊昔紅顏美少年。
公子王孫芳樹下,
清歌妙舞落花前。
光祿池臺開錦繍,
將軍樓閣畫~仙。
一朝臥病無人識,
三春行樂在誰邊。
宛轉蛾眉能幾時,
須臾鶴髮亂如絲。
但看古來歌舞地,
惟有黄昏鳥雀悲。
洛陽 城東  桃李の花,
飛び來り 飛び去りて  誰が家にか 落つる。
洛陽の女兒  顏色を 惜しみ,
行(ゆくゆ)く 落花に逢ひて  長歎息す。
今年 花 落ちて  顏色 改まり,
明年 花 開きて  復た 誰か在る。
已(すで)に 見る  松柏の  摧(くだ)かれて 薪と 爲るを,
更に聞く  桑田の  變じて 海と 成るを。
古人 復(ま)た  洛城の東に 無く,
今人 還(なほ)も 對す  落花の 風。
年年 歳歳  花 相(あ)ひ似たれども,
歳歳 年年  人 同じからず。


言を寄す  全盛の  紅顏子,
應に憐むべし 半死の  白頭の翁。
此の翁 白頭  眞に 憐む可(べ)し,
伊(こ)れ 昔 紅顏の  美少年。
公子 王孫  芳樹の 下,
清歌 妙舞  落花の 前。
光祿の 池臺に  錦繍を開き,
將軍の 樓閣に  ~仙を畫(ゑが)く。
一朝 病ひに臥して  人の識る 無く,
三春の 行樂  誰が邊にか 在る。
宛轉たる 蛾眉  能(よ)く 幾時ぞ,
須臾にして 鶴髮  亂れて 絲の如し。
但(た)だ 看る  古來  歌舞の地,
惟(た)だ 黄昏に  鳥雀の悲しむ 有るを。