週刊報道ワカヤマ Y47(2006年1月13日) 時 事 折 々 (第12回) |
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いや重け吉事・・・ (表題 編集人藤原無我氏) |
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時 事 折 々 田 中 昭 彦 『新しき年の始めの初春の、けふ降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)』 (新しい年始の今日降っている雪のように、よいことが重なっていけば・・) 右の歌は、万葉歌人の大伴家持四十二歳の作で、約千二百五十年前の天平時代のもの。 万葉集の最終巻(巻二〇)の末尾を飾る歌で、雪はおめでたいもの、正月一日の宴に詠まれ たという。想像するに短冊にさらさらと筆を走らせたのであろう。いや、本当に素直でおおらか な万葉人の正月賛歌であることか。 さて、新しい年の初め、「週刊報道ワカヤマ」Y47が印行されました。右の歌と同じく、「い や重け」続いてほしいものですが、まずは創刊年の昨年から今年へと続いたことはおめでた く、読者も含めた関係者ご一同様とともにご同慶の至りと喜び合いたいと思います。というこ と で、皆々様明けましておめでとうございます。 ご挨拶がすんだところで、時事(爺)の性分に合わせ、正月ひねり歌。 『門松(正月)は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし』 歌の意味は分かりやすい。約五百五十年前の室町時代、狂雲子と号し奇行で有名な一休 禅師の作である。禅師は元旦に人の頭蓋骨を振りかざして街中歌いながら歩いたそうであ る。また、著書の「骸骨(がいこつ)」の中で「年をとるほどあの世は近い、骨になる前に目を 覚ませ。どんな美人でも死ねば白骨だぞ。本当の人生に早く気づかねばならぬぞ。」と教え ているという。年寄りの時事(爺)にはまことに耳が痛い。 なお、禅師は、生活面では酒色も何も戒律や形式にとらわれない人間くささに満ちた生き 方をした人であったそうな。いわゆる一休とんち話は、江戸時代以降にそんな彼をモデルに し一休噺などとして生み出されたものといわれている。時事(爺)はこの方は耳に心地よい。 続いて、時事(爺)の正月戯れ歌。 『いまの世は門松見えずおめでたし、冥土の旅に気づく間もなし』 (今の世の中は、門松をはじめ四季折々の風習や行事がすたれた分煩わしくはないが、そ の反面、人は人生を考える節々に気づかないまま過ごしてしまうことが多くなった。今の世 は、先の万葉歌やひねり歌の世に比し、めでたいのか、おめでたいのか) ここから、最近の刹那的な社会世相とIT(インフォメーション・テクノロジー、情報技術)社会 の関連に蘊蓄(うんちく)を傾けて「落ち」と行きたいが、原稿アップは正月三日のこととてお せち料理にお屠蘇機嫌、早々には落ちを付けず、今年の「いや重け吉事」を念じ、結ぶ。 |