週刊報道ワカヤマ Y43(2005年12月9日)
                              

       
時   事   折   々 (第11回)       

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              地名がもつ文化と愛着に配慮を

                                  
                                   (表題 編集人藤原無我氏)

                   時 事 折 々        田 中 昭 彦

 《第一幕》 紀州紀ノ川、安楽川、粉河、お饅包むは、竹の皮。我が生地、名手川上流、川原

村は大字野上、六か町村合併後は粉河町、今の住まいは和歌川町。(以上、「川」「河」がつ

く地名とのご縁)
 
 約五十年前の町村合併。雄大なる葛城山山麓名手川沿いは「川原村」、厄除け長田観音

寺の地元「長田村」、麗峰龍門山山麓「龍門村」、国宝沃懸地螺鈿金銅装御輿(いかけぢら

でんこんどうそうみこし)の「鞆淵村」、お大師さんの井戸がある美しい村名「王子村」(一

部)、そして、西国三番札所風猛山粉河寺の門前町「粉河町」の六か町村。合併後の新町

名は「粉河町」。そのとき、川原、長田、龍門、鞆淵、王子の地名が消えた。
 
 旧粉河町は粉河寺開山以来商売の町、周辺山村住人から粉河人物評して曰く「会うな出

会うな粉河の人に、会えば三文損がいく」。粉河寺のご詠歌「父母の、恵みも深き、粉河寺、

仏の誓ひ、頼母(たのも)しの身や」。国宝粉河寺縁起絵巻が伝わる。
 
 先の町村合併後幾星霜、ようやく我が古里は「粉河」と馴染んだ今日この頃。

 《第二幕》 去る11月7日、五町合併によ り「紀の川市」が発足した。我が生地(本籍)の地

名が再び変わり、折角馴染んだ「粉河」が消え、「紀の川市野上」になるという。ああ何と味気

なく切ないことか!
 
 なのに、旧貴志川町と旧桃山町は、町名を残し、「紀の川市貴志川町神戸」「紀の川市桃

山町元」と旧町名を冠するとのこと。

 《第三幕》 市町村合併後の「地名」につい ては、様々な議論と意見があり、インターネット

上でも、『市町村合併で誕生の「つぎはぎ地名」に目をむける』『市町村合併で「地名」を殺

すな(片岡正人著)』『伝統の地名に愛着』等々の見出しがヒットしてくる。

 《第四幕》 結婚によって氏を改めた夫また は妻は、離婚の場合戸籍の届け出だけで婚姻

中の氏を称することができる。結婚後、変更した氏を継続使用してきたことに一種の権利性

を認めた措置である。人は、日常的に住所や本籍の地名を個人名に肩書き表示して生活し

ている。よって、町村合併で地名を変更するとしても、右の氏の場合と同じく地名の継続使用

を最大限尊重すべきではないか。地名の持つ文化と馴染んだ地名への愛着にも配慮すべき

でないか。
 
 「粉河」も残して欲しい。従前の「那賀郡粉河町」の表示を「紀の川市粉河町」としても、字数

は一字が増えるが合計画数が減るのでこの点の負担増はなく、また「紀の川市野上」と表示

するより「紀の川市粉河町野上」と表示する方が、「野上」という在所の見当がつきやすいの

ではなかろうか。12月11日に新市長が誕生するが、貴志川・桃山の町名を残すのであれ

ば、是非再検討して貰いたいと思うのである。(以上、本稿の「川」「河」使用数ともに18回)