週刊報道ワカヤマ Y35(2005年10月14日)                              


       時   事   折   々 (第9回)
 
   

                 本場のカレーをもう一度・・・
                                
                                  (表題 編集人藤原無我氏)

                
       時  事  折  々         田  中  昭  彦
 
 パキスタン北部で10月8日大地震が発生した。「カシミール地方の被害が甚大であり、

複数の村が完全に破壊された。」という報道があり、10日の新聞一面では「死者2万人

に迫る」という見出しとともに、町全体のほとんどの建物がぺしゃんこにつぶれている状

況が写っている写真が掲載された。

 時事(爺)は、文字通り「人ごと」ではなく、アメリカで出会った結婚間もない夫婦の安否

をたいへん心配している。アメリカ滞在のことは前回に書いたが、その折、次女夫婦が開

いたホームパーティに一組の「カシミール人」夫婦の参加があった。他の参加者よりすこ

し早く来たので娘夫婦の介助で話を聞く機会があった。結婚後約一年あまりですぐアメリ

カへ来たこと、結婚は親が決め、式まで一回合っただけであること、披露の宴会は500

人ぐらいが集まり3日ぐらい続いたことなど。途中、パソコンからカシミール地方のイラス

ト地図をプリントしたところ、イラストに書き込みをしながら熱っぽく「自国」のことを語って

くれた。

 ここで、その後のパソコン知識(http//learning.xrea.jp/) も含めて「カシミール地方」の

こと。『インド北部からパキスタン北東部にひろがる山岳地帯。もと藩王国(部族国家のこ

と)。イスラム教徒が多い。牧羊が盛ん。特産にカシミヤ織物(日本語になっているほど)

がある。1947年のインド・パキスタンの分離独立にあたってヒンズー教徒の藩王はイン

ドへの帰属を表明、イスラム教徒が大多数をしめる住民はパキスタンへの帰属を要求し

て対立。印パ戦争に発展。カシミール地方のうち、3分2がインドのジャムカシミール州

に、3分の1がパキスタンの自由カシミール州に属した。印パ戦争は第2次・1965年、

第3次・1971年と続いた。』

 出合いがあった彼とその一族はイスラム教徒、居住圏は現在インドの実行支配地内で

あるという。デリケートな話題の中、我が連れ合いが彼の妻に「娘があなたに本場のカレ

ーの作り方を教わりに行ったそうですね。」と振った。話の向きが変わり、アットホームな

会話が続いた。翌日、思いがけずも爺婆へのプレゼントということでその夫婦から手作り

のスパイシーなカレーが届いた。

 アメリカから帰って間もなく、娘から、彼ら夫婦は彼の母親の病気の都合でカシミール

に一時帰国したと聞いていた。その矢先の大地震である。ひたすら無事を祈るのみで

ある。