週刊報道ワカヤマ Y19(2005年6月24日)                              


         時   事   折   々 (第5回)             
 
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              スリム化は弱者切り捨ての根拠にならない
                                  
                              (表題 編集人藤原無我氏)

      
             時 事 折 々              田中昭彦

 先日、東京都庁で開催された、ある委員会の全国会議に出席したが、都庁の威容と規

模の大きさに驚いた。(仕事上多くの来客をこなしているが、挨拶もそこそこに「おととい

東京に行ってきた」と切り出す人がある。このタイプは、ほら吹き気味の威張りたがり屋

さんに多い。東京=政治経済の中心=自分は偉いものに繋がっているのだぞ、という発

想であろう。本稿はその手合いではない。)

 都庁の威容を目にして先ず思ったことは、当初の建築費やその後の施設維持費用、

その中の職員数と人件費のこと、すなわち肥大化した行政とそのコストという問題であっ

た。現在の国民は、福祉・文化等あらゆる面で国家の積極的役割を期待する。法律相

談を担当していて、「損害賠償訴訟で勝訴しても相手に金が無ければ取れない」と答える

と「え!国が代わって払ってくれないの!。税金払っているのに!被害者は困っても泣き

寝入りと言うことですね!」と言われ、こちらの方も困ることがある。事ほど左様に国民は

充実した「福祉国家」を求めているのである。

 現在、行政の肥大化が進みその病理現象として財政事情の悪化を招来した。近時、「

構造改革」「規制緩和」のかけ声の下にあらゆる面で国の制度や事業の見直しが行われ

いる。郵政民営化や司法制度改革もそうであるが、この政策の正当性のアピールとして

「スリムな行政」「競争原理・市場原理」「公平性・透明性」という表現が使われるのであ

る。これらのアピールの何れも正面からはあまり異論が出ないであろうし、現下の何もか

も肥満が蔓延する中では「スリム」という表現はたいへん耳障りがよい。

 しかし、ここで少し意識しておくべき事は、「スリムな行政」とは、福祉国家に対して使わ

れる「夜警国家」のような「自由放任の行政」とは違う意味であるということである。夜警

国家とは、国家の活動を国防・治安、若干の公共事業など、必要最小限の夜警的な役

割にとどめる国家のことで、行き過ぎた自由放任主義の国家を批判して用いた用語であ

った。しかし、「構造改革」や「スリムな行政」が強調され過ぎると、福祉の面も夜警国家

のような市場原理に支配される危険があり、その結果必要な福祉政策が後退し弱者切

り捨てになることを心配する。福祉国家における「スリムな行政」とは、「無駄を省いた効

率的な行政運営」という意味であり、弱者切り捨ての根拠としてはならない。

本誌17号の編集後記で、市がせっかくノーマライゼーションの理念に沿った「新障害者

計画」を策定しているのに、現実はこれに従った行政をしていない!と憤っていた。ノー

マライゼーションとは、高齢者や障害者が他の人々と共に暮らす社会がノーマルである

とする福祉の基本理念のことであり、編集後記も『現代の社会福祉における最も大切な

基本理念である』として取り上げていた。21世紀の社会は、(効率的という意味での)ス

リムな行政運営の中でノーマライゼーションを実現する福祉政策がとられなければなら

ない。誠に難しい舵取りである。